Events 近況
2011年7月
『エコノミスト』7月12日号、61頁にインタビュー記事が掲載されました。
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)に関するものです。
要旨や意図について、うまくまとめて下さいました。
深く御礼を申し上げます。
2011年6月(その6)
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、『週刊ポスト』6月24日号の書評欄で手短に紹介されました。
ある先生が教えて下さいました。
この書評に限らず、今日の問題に引きつけて考えて下さった方が少なくないようです。
つまり、田中角栄内閣による日中国交正常化は、現在の政局にも示唆しうるのではないかというご意見です。
実際、民主党の要人たちが菅直人首相の退陣時期を口にして廻る姿は、どうみても本来あるべき姿ではなさそうです。
田中内閣における大平正芳外相のような盟友が、首相には必要なのかもしれませんね。
日中国交正常化で田中は大きな方針だけを示し、謝罪の表現から台湾条項に至るまで、事実上の全権を大平に委ねました。
異なるリーダーシップが共振し、官僚たちを信頼して使いこなしたとき、中国への道は初めて開かれたのです。
ややもすると政治主導は、官僚を排除することとも解されるようですが、舞台裏で奔走した無名の官僚たちも描きたいと思いました。
政治主導で官僚の役割がなくなってしまうのではなく、政治主導のなかでこそ官僚は活かされるようです。
拙著に意味があるとすれば、インタビューに答えて下さった方々のお陰です。
肉声が原稿に乗り移っていく感覚に何度も襲われました。
それにしても当時の政治家や官僚たちは、個性がしっかりしていますね。
2011年6月(その5)
しばらくパソコンを修理に出していました。
だからというわけでもないのですが、三浦哲郎『木馬の騎手』(新潮文庫、1984年)を四半世紀ぶりに読みました。
わずか10数頁の短編「鳥寄せ」が心に残りました。
出稼ぎに行った父の予期せぬ最期、そして母の姿を思い浮かべながら、子供がとつとつと語ります。
さすがに短編の名手と思わせる悲話でした。
『忍ぶ川』にもまして、時代を超えるものを感じさせてくれます。
2011年6月(その4)
井上寿一「歴史書の棚 日中国交正常化交渉はなぜ成功したのか」(『エコノミスト』2011年6月21日号)におきまして、拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が書評されました。
同稿は、国分良成編『中国は、いま』(岩波新書、2011年)と拙著を書評しながら、現代日中関係を考察したものです。
この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。
2011年6月(その3)
大平正芳記念財団の会合にお邪魔してきました。
政界、財界、官界、学界、新聞社などから約350人が集まり、没後31年を経てなお、大平の人徳を思わせます。
現在、第4巻まで刊行されている大平正芳/福永文夫編『大平正芳全著作集』(講談社、2010年~)をひもとくと、飾らない文体に人柄がにじむようです。
帰り際には財団のご好意で、拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)を配布して下さいました。
昨年は、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)が配られたとお聞きしています。
関係各位に深謝申し上げます。
一昨年は、福永文夫先生の『大平正芳――「戦後保守」とは何か』(中公新書、2008年)が配布されたようです。
吉田茂財団が今年3月に解散してしまったこともあり、大平財団の存在はますます貴重なものになっていくのでしょうね。
2011年6月(その2)
少し前のことですが、北岡伸一『日本政治史――外交と権力』(有斐閣、2011年)を拝読いたしました。
1989年に出版された放送大学の教科書を復刻されるとともに、新たにコラムが多く執筆されています。
この本には、20年前の記憶があります。
北岡先生が1990、1年、京都大学法学部で日本政治外交史の集中講義を担当されたこともあり、刊行されたばかりの『日本政治史――外交と権力』(放送大学、1989年)を勉強いたしておりました。
講義後には、拙い質問にも丹念に答えて下さったことを覚えています。
あれから20年が流れたかと思うと、時の早さに言葉を失います。
2011年6月
◆ オーラル・ヒストリーの意義
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)に対して、何人かの方々から貴重なコメントをたまわりました。
この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。
批評の多くは、インタビューやオーラル・ヒストリーについてでした。
今回の本では、諸先生方とご一緒させていただいたオーラル・ヒストリーが非常に有益でありました。
いくつかは刊行されていまして、「研究テーマ>共編――オーラル・ヒストリー」に挙げてあります。
外交面からのオーラル・ヒストリーには、4つぐらいの意義がありそうです。
第1に、公文書には残らないような人的関係や政策過程を再現でき、研究者が歴史を書くときの材料になります。
第2に、ジャーナリストやビジネスマン、学生など、研究者以外の目にも触れますので、外交史の知識を普及させます。
第3に、現役の官僚や政治家にとって、執務上の参考になりうると思います。
第4に、これは意図しておりませんが、結果的に日本外交の広報となる面もありそうです。
◆ 歴史になっていない過去
拙著が対象とした時代については、完全には歴史になっていないという考え方も十分ありうると思います。
内外の調査や情報公開請求で主要な文書を入手しているとはいえ、中国側を含めて、史料に未公開の部分があるのは事実です。
史料がほぼ完全に開かれ、歴史となってから研究に着手するのが王道でしょうし、私もそのように感じています。
未公開の部分があるというデメリットには自覚的ですが、当事者から話をお聞きし、遠くない過去を再構成できるというメリットにも捨て難いものがあります。
先に述べたような意味で外交史には、現代的要請に応える役割もあるだろうと思います。
この点については、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)でも少し意識しました。
◆ 公文書に残ること、残らないこと
史料が完全に公開されるとき、関係者の多くは他界していますでしょうし、そもそも、すべての出来事が公文書に記されるとは限らないのです。
『日中国交正常化』から例を挙げれば、田中角栄首相の「ご迷惑」スピーチについて、田中自身が翌日の会議で周恩来らに反論し、理解を得ています。
日本外務省記録にはあまり出てこない局面ですが、証言を得ることができました(151-153頁)。
周恩来が高島益郎条約局長を「法匪」と罵倒したという説についても、当事者に確かめておく必要があると思いました(151頁)。
そうでないと、不正確な伝聞が史実であるかのように定着してしまう可能性もあります。
細かなことかもしれませんが、流布された神話によって、周恩来へのイメージが左右されかねないところかと存じます。
公文書に残らない部分はインタビューを行っておかないと、復元したり、検証したりするのが難しくなるのかもしれませんね。
◆ 保存期間
もう1つ付言しなければならないのは、「行政文書としての保存期間」が満了すると、廃棄される可能性があることです。
この点についても、『日中歴史認識』287-288頁などで触れておりまして、その文書の保存期間は1年ないし3年でした。
研究テーマによっては、30年ルールを信じて待ってみても、史料状況が必ずしも改善されるとは限らないようです。
とりとめもない文章になってしまいましたが、今後も試行錯誤を重ねていくことになりそうです。
2011年5月(その7)
現代日中関係史を共同研究で進めています。
おそらく最終となるであろう全体会合が2日間、週末に開催され、勉強させていただきました。
これから原稿を仕上げていく段階になりそうです。
ある財団からご支援を得ておりますので、リンクを貼っておきます。
会合を終えた夜、今春、大学に就職された方々などと集まる機会がありました。
大学をめぐる環境が厳しいなか、しかるべきところに迎え入れられるのは、この上なくうれしいことですね。
2011年5月(その6)
明治大学史資料センター『大学史紀要 第15号 三木武夫研究Ⅱ』(2011年3月)が興味深い内容になっています。
外交面では、竹内桂「三木・フォード会談(1975年8月)について」があり、そのほか三木睦子氏インタビュー、海部俊樹氏インタビュー、三木武夫年譜なども掲載されています。
明治大学史資料センター所蔵「三木武夫関係文書」のほか、フォード大統領図書館所蔵文書も用いられています。
大学に個人文書の受け皿があることの重要性をあらためて感じました。
スクール・アイデンティティの象徴的存在として、大学史料館は経営的にも欠かせないように思います。
2011年5月(その5)
井上寿一『戦前日本の「グローバリズム」――1930年代の教訓』(新潮社、2011年)を拝読いたしました。
昭和戦前期を外交空間の拡大という視点などから再解釈されています。
知識人の時局観を織り交ぜたことも、大きな特徴になっています。
グローバリズムと地域主義が錯綜し、政権交代で政党政治が新たな局面に立ちつつある現在に示唆的です。
2011年5月(その4)
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が刊行されました。
田中首相、大平外相、外務官僚を軸として、日中国交正常化を論じたものです。
同書では、4つのことを試みました。
第1に、比較的に新しい時代を歴史として書きました。日中共同声明の形成、台湾や尖閣諸島をめぐる交渉、対米関係などは、現代国際政治につながるものです。
第2に、インタビューや情報公開請求を多用し、政策過程や対外構想、人物像を分析しました。
第3に、政治的リーダーシップのあり方や外務官僚との関係を考察しました。
第4に、注と参考文献を完備することで、新書ながら学術書に近い水準を保とうと努めました。
拙著『広田弘毅──「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年)と同様に、会話文などを含めて史料的根拠があり、今回は注に明記してあります。
インタビューの多くは2008年ごろから、諸先生方や大学院生の方々とともに行いました。
その一部は、別途、以下のように刊行してあります。
森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)
栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)
中江要介/若月秀和・神田豊隆・楠綾子・中島琢磨・昇亜美子・服部龍二編『アジア外交 動と静――元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(蒼天社出版、2010年)
中国と国交が樹立された1972年9月当時、森田一氏は大平外相秘書官、中江要介氏は外務省アジア局外務参事官、栗山尚一氏は外務省条約局条約課長でした。
関係各位に深謝申し上げます。
2011年5月(その3)
中央大学政策文化総合研究所で、次の本について書評研究会を開催いたしました。
伊藤信哉『近代日本の外交論壇と外交史学――戦前期の「外交時報」と外交史教育』(日本経済評論社、2011年)
酒井一臣先生が報告して下さり、討論者には著者の伊藤先生をお迎えしました。
フロアーには10数名の参加者を得て、有意義な研究会になりました。
同書の第1部では『外交時報』創設者の有賀長雄から、ジャーナリストの大庭景秋(かげあき)以下の時代について、外交時報社の経営、編集、雑誌の特徴などが解明されています。
もともと有賀の個人雑誌であった『外交時報』が、外交論壇で中心的な地位を占めるに至る過程でもあります。
有賀や半沢玉城など名前は知られている人物であっても、公的な業績のみならず、短所を含めて人柄などについて論じられているところも興味深いように感じました。
第2部は、主要な大学の外交史講座や研究者の著作を跡づけながら、外交史学の起源と外交史教育について掘り起こしています。
その過程で通説を修正され、多くの大学で戦前から外交史講義があったことなどを指摘されています。
中央大学でいえば、稲田周之助、高木信威(のぶたけ)、川原次吉郎(じきちろう)、松原一雄らが教鞭を執っていたことなど、非常によく調べられていて勉強になりました。
文体も平易で読みやすく、外交論壇や外交史研究のルーツを知る上でも有益な内容となっています。
日本図書センターから刊行された総目次も参考になります。
2011年5月(その2)
拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)が第5刷になりました。
2011年5月
廣部泉『グルー――真の日本の友』(ミネルヴァ書房、2011年)を拝読いたしました。
1932年から1941年まで駐日アメリカ大使の座にあったジョセフ・グルーについて、対日関係はもとより、第1次国務次官期や国務省内の人的関係などを含めて、その生涯を描き切ったご労作です。
内外の史料を渉猟されているだけに、同書を通じて、グルーがもう少し知られるようになってくれればと思いました。
なお、グルーと幣原喜重郎の関係などについては、拙著『幣原喜重郎と二十世紀の日本―─外交と民主主義』(有斐閣、2006年)で論じたことがあります。
2011年4月(その5)
澤田次郎『徳富蘇峰とアメリカ』(慶應義塾大学出版会、2011年)を拝読しました。
明治、大正、昭和と長期にわたって影響力のあった徳富蘇峰について、対米認識の変遷を軸に跡づけたご労作です。
幼少期の愛読書からアメリカ体験、政治家への影響、さらにはアメリカ人との交友に至るまで、長年に及ぶ研究の集大成となっています。
蔵書への書き込みまで丹念に調べられるなど、高度に実証的でありながら、文体は平易で読みやすく仕上げられています。
2011年4月(その4)
白石仁章『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書、2011年)を拝読しました。
北満鉄道譲渡交渉をはじめ、インテリジェンス・オフィサーとしての杉原の軌跡が余すところなく論じられています。
私的、公的交友などのほか、命のビザについても再考されていますので、杉原についての決定版となりそうです。
白石先生には、『プチャーチン――日本人が一番好きなロシア人』(新人物往来社、2010年)もあります。
幕末に来航したプチャーチンは、日露和親条約、日露修好通商条約を締結したことで知られています。
同書からは、プチャーチンの人物像や幕末の日露交渉はもとより、明治期のプチャーチンや長女についても、大いに学ばせていただきました。
2011年4月(その2)
拙稿「この人・この3冊 石原莞爾」が、4月17日の『毎日新聞』書評欄に掲載されました。
今年は満州事変80周年のため、本を3冊を挙げながら、石原莞爾を論じてほしいという企画でした。
ご紹介した3冊は、いずれも在庫があるそうです。
ウェブ版では見られませんが、紙面では専門家によるイラストも描かれています。
イラスト上のこととはいえ、石原莞爾と向かい合うというのも不思議な感覚ですね。
2011年4月
伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報辞典 4』(吉川弘文館、2011年)で、辞典項目「幣原喜重郎」「広田弘毅」を執筆しました。
追加情報となるものです。
2011年3月(その5)
井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』(講談社現代新書、2011年)を拝読いたしました。
昭和戦前期の社会について、アメリカ化、格差社会、大衆民主主義という今日にもつながる視座が提示されています。
サンソム夫人から農村雑誌『家の光』、近衛文麿のラジオ演説などに至るまで、縦横に論じられています。