Events 近況
2011年11月(その5)
静岡県三島市の駿河小山講堂で講演しました。
駿河小山講堂は、スルガ銀行の施設です。
講演者は、毎日新聞主筆の岸井成格氏と私でした。
スルガ銀行、アジア調査会の方々に大変お世話になりました。
拙い講演ながら、熱心に聞いて下さったのが印象的でした。
『毎日新聞』のリンクを貼っておきます。
駿河小山講堂を含むスルガ・キャンパス・カレッジについても、関連するホームページのリンクを貼っておきます。
2011年11月(その4)
アジア・太平洋賞特別賞の表彰式が、パレスサイドビルで行われました。
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)はインタビューによるところが大きいだけに、多く方々が獲らせて下さったものだと思います。
『毎日新聞』11月13日、11月15日に関連記事が掲載されています。
2011年11月(その3)
つくば国際会議場で、日本国際政治学会の大会が開催されました。
部会「1920年代の東アジア国際政治におけるソ連の登場――『革命外交』の虚と実」で、討論を務めました。
麻田雅文先生、青木雅浩先生、シュラトフ・ヤロスラブ先生のご報告は、いずれも非常に実証水準が高く、日本におけるソ連外交史研究、モンゴル現代史研究の到達点を示すものでした。
司会の横手慎二先生、討論の酒井哲哉先生をはじめ、フロアーからの発言も勉強になりました。
2011年11月(その2)
インタビュー記事が、『アジア時報』第471号、26-33頁に掲載されました。
2011年11月
辛亥革命百周年記念セミナー「辛亥革命と現代」にて、「日中関係史の記憶と研究」と題して報告しました。
こちらにリンクを貼っておきます。
2011年10月(その2)
インタビュー記事が、『毎日新聞』10月27日夕刊に掲載されました。
こちらにリンクを貼っておきます。
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)に関するものです。
記者の方が、うまくまとめて下さいました。
2011年10月
思いがけず、アジア・太平洋賞特別賞を受賞いたしました。
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)によるものです。
10月3日『毎日新聞』社告で発表されました。
選考に当たられた委員の方々、ご指導下さった先生方、インタビュイー、編集者や校閲の方々などに深甚の謝意を表します。
2011年9月(その10)
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、『軍事史学』第47巻第2号で書評されました。
池田直隆先生によるものです。
深く御礼を申し上げます。
2011年9月(その9)
川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、2007年)が、第3刷になりました。
本文、コラムとも、非常に多くの方々にお世話になりました。
この場をお借りして、深謝申し上げます。
2011年9月(その8)
細谷千博先生が他界されました。
復刻された『シベリア出兵の史的研究』(有斐閣、1955年、岩波現代文庫、2005年)のほか、『ロシア革命と日本』(原書房、1972年)、『サンフランシスコ講和への道』(中央公論社、1984年)、『両大戦間の日本外交――1914~1945』(岩波書店、1988年)などを主著とし、外交史研究の最高峰でした。
今年は学部ゼミで、『日本外交の軌跡』(日本放送出版協会、1993年)を読んでいました。
久しぶりに読み返し、圧縮された文体の背後にある蓄積をいまさらのように感じました。
『日本外交の座標』(中央公論社、1979年)には、秀逸な列伝が収録されています。
牧野伸顕、吉田茂、松岡洋右、近衛文麿、ロバート・クレーギー、ジョージ・サンソム、ジョージ・ケナンについての筆致は、ストーリー・テラーとしての一面を伝えています。
同書などで、日本外交の政策決定を「《円錐台》システム」と規定したことも、よく知られていますね。
『日米関係史』全4巻(東京大学出版会、1971-1972年、新装版:2000年)など数々の共同研究を率い、外交史研究を世界的な水準に引き上げた方でした。
それだけに、今世紀に入って研究に着手されたような世代には、どのぐらい業績が読み継がれているだろうかとも思います。
研究が細分化されていくなかで、近現代史を鳥瞰できる歴史家は減っていくのかもしれません。
個人的には数年前、外務省外交史料館の研究会でお目に掛かったのが最後でした。
細谷先生は最前列の中央に着席され、報告者の私に多くの知見と洞察を示して下さいました。
そのことは、拙稿「幣原喜重郎について――外務省記録とその周辺」(『外交史料館報』第20号、2006年)に部分的ながら収録されています。
優しさと真摯さがにじむような笑顔を昨日のように思い出します。
慎んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
2011年9月(その7)
後期の講義科目では対外政策決定論、国際関係論Ⅱに加えて、日本・アジア関係史を教えることになりました。
初めての科目ですので、しばらく準備に時間を要しそうです。
そのほか、ゼミ、大学院などを担当します。
2011年9月(その6)
拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)が『日本歴史』(第756号、2011年5月)で書評されました。
気づくのが遅れてしまいましたが、冨塚一彦先生によるものです。
深く御礼を申し上げます。
2011年9月(その5)
柏倉康夫『指導者はこうして育つ――フランスの高等教育:グラン・ゼコール』(吉田書店、2011年)を読みました。
フランスにおける国語と文章の暗記重視、日仏の比較、入試のあり方、教育の歴史、日本との人的交流、文学者、グラン・ゼコールの生活など、まったくの門外漢ながら参考になりました。
永井荷風『〔氵+墨〕東綺譚』をフランス語訳したのは、ある総領事であったそうです。
2011年9月(その4)
9月11日の『日本経済新聞』にて、丹波實『わが外交人生』(中央公論新社、2011年)を書評しました。
ロシア、アメリカ、中国の3大国で勤務されただけに、スケールの大きな回想録だと思います。
2011年9月(その3)
拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)が、『国際政治』第166号で書評されました。
波多野澄雄先生によるものです。
「田中上奏文」だけを論じた学術書がほかにないだけに、難しい書評ではなかったかと思います。
この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。
2011年9月(その2)
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、『改革者』(第614号、2011年9月)で書評されました。
阿部穆氏によるものです。
阿部氏は新聞記者として、田中角栄首相らの訪中に随行されています。
拙著191、241頁でも、ご論考を引用させていただきました。
少しずつ新聞記者の方々にもお話を聞くするようにしているのですが、この点は積み残した課題となっていました。
2011年9月
この夏休みは、最も多くの時間をインタビューに割いた気がいたします。
インタビューは単独で行うこともありますが、多くはグループで行っています。
長い目でみると、研究そのものに劣らず重要なのでしょうね。
2011年8月(その7)
「日中国交正常化の周辺」と題して、ある研究会で報告いたしました。
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)の内容を敷衍しならがら、史料や残された課題などに触れたものです。
先生方のコメントが、とても参考になりました。
貴重な勉強の機会を与えて下さいましたことに深謝申し上げます。
2011年8月(その6)
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、8月14日の『読売新聞』で書評されました。
細谷雄一先生によるものです。
外交史の本が新聞であまり取り上げられないなか、ご専門のイギリス外交史という枠を超えて書評し続けるのは、なかなかできないことだと思います。
この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。
同書については、8月16日の『チャイニーズドラゴン』でも紹介されました。
2011年8月(その5)
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、『週刊東洋経済』8月13・20日合併号で取り上げられました。
書評を執筆して下さった西村吉正先生に深謝申し上げます
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一般論として、新聞や商業雑誌の書評では紹介という意味合いが強く、学会誌における書評などと性格を異にしていることは理解しているつもりです。
それにしても、狭義の専門家以外にどう読まれるかということは、とてもいい勉強になります。
新書のような形態では、教養ある読者層を意識するため、特にそうだと思います。
かといって、読者に媚びるような運びにすることは本末転倒ですので、あくまで事実関係には忠実でなければなりません。
この点は、拙著『広田弘毅』(中公新書、2008年)でも反芻し、拙稿「広田弘毅について」(『比較法制研究』第33号、2010年12月)で触れました。
