Events 近況
2011年5月(その5)
井上寿一『戦前日本の「グローバリズム」――1930年代の教訓』(新潮社、2011年)を拝読いたしました。
昭和戦前期を外交空間の拡大という視点などから再解釈されています。
知識人の時局観を織り交ぜたことも、大きな特徴になっています。
グローバリズムと地域主義が錯綜し、政権交代で政党政治が新たな局面に立ちつつある現在に示唆的です。
2011年5月(その4)
拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が刊行されました。
田中首相、大平外相、外務官僚を軸として、日中国交正常化を論じたものです。
同書では、4つのことを試みました。
第1に、比較的に新しい時代を歴史として書きました。日中共同声明の形成、台湾や尖閣諸島をめぐる交渉、対米関係などは、現代国際政治につながるものです。
第2に、インタビューや情報公開請求を多用し、政策過程や対外構想、人物像を分析しました。
第3に、政治的リーダーシップのあり方や外務官僚との関係を考察しました。
第4に、注と参考文献を完備することで、新書ながら学術書に近い水準を保とうと努めました。
拙著『広田弘毅──「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年)と同様に、会話文などを含めて史料的根拠があり、今回は注に明記してあります。
インタビューの多くは2008年ごろから、諸先生方や大学院生の方々とともに行いました。
その一部は、別途、以下のように刊行してあります。
森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)
栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)
中江要介/若月秀和・神田豊隆・楠綾子・中島琢磨・昇亜美子・服部龍二編『アジア外交 動と静――元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(蒼天社出版、2010年)
中国と国交が樹立された1972年9月当時、森田一氏は大平外相秘書官、中江要介氏は外務省アジア局外務参事官、栗山尚一氏は外務省条約局条約課長でした。
関係各位に深謝申し上げます。
2011年5月(その3)
中央大学政策文化総合研究所で、次の本について書評研究会を開催いたしました。
伊藤信哉『近代日本の外交論壇と外交史学――戦前期の「外交時報」と外交史教育』(日本経済評論社、2011年)
酒井一臣先生が報告して下さり、討論者には著者の伊藤先生をお迎えしました。
フロアーには10数名の参加者を得て、有意義な研究会になりました。
同書の第1部では『外交時報』創設者の有賀長雄から、ジャーナリストの大庭景秋(かげあき)以下の時代について、外交時報社の経営、編集、雑誌の特徴などが解明されています。
もともと有賀の個人雑誌であった『外交時報』が、外交論壇で中心的な地位を占めるに至る過程でもあります。
有賀や半沢玉城など名前は知られている人物であっても、公的な業績のみならず、短所を含めて人柄などについて論じられているところも興味深いように感じました。
第2部は、主要な大学の外交史講座や研究者の著作を跡づけながら、外交史学の起源と外交史教育について掘り起こしています。
その過程で通説を修正され、多くの大学で戦前から外交史講義があったことなどを指摘されています。
中央大学でいえば、稲田周之助、高木信威(のぶたけ)、川原次吉郎(じきちろう)、松原一雄らが教鞭を執っていたことなど、非常によく調べられていて勉強になりました。
文体も平易で読みやすく、外交論壇や外交史研究のルーツを知る上でも有益な内容となっています。
日本図書センターから刊行された総目次も参考になります。
2011年5月(その2)
拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)が第5刷になりました。
2011年5月
廣部泉『グルー――真の日本の友』(ミネルヴァ書房、2011年)を拝読いたしました。
1932年から1941年まで駐日アメリカ大使の座にあったジョセフ・グルーについて、対日関係はもとより、第1次国務次官期や国務省内の人的関係などを含めて、その生涯を描き切ったご労作です。
内外の史料を渉猟されているだけに、同書を通じて、グルーがもう少し知られるようになってくれればと思いました。
なお、グルーと幣原喜重郎の関係などについては、拙著『幣原喜重郎と二十世紀の日本―─外交と民主主義』(有斐閣、2006年)で論じたことがあります。
2011年4月(その5)
澤田次郎『徳富蘇峰とアメリカ』(慶應義塾大学出版会、2011年)を拝読しました。
明治、大正、昭和と長期にわたって影響力のあった徳富蘇峰について、対米認識の変遷を軸に跡づけたご労作です。
幼少期の愛読書からアメリカ体験、政治家への影響、さらにはアメリカ人との交友に至るまで、長年に及ぶ研究の集大成となっています。
蔵書への書き込みまで丹念に調べられるなど、高度に実証的でありながら、文体は平易で読みやすく仕上げられています。
2011年4月(その4)
白石仁章『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書、2011年)を拝読しました。
北満鉄道譲渡交渉をはじめ、インテリジェンス・オフィサーとしての杉原の軌跡が余すところなく論じられています。
私的、公的交友などのほか、命のビザについても再考されていますので、杉原についての決定版となりそうです。
白石先生には、『プチャーチン――日本人が一番好きなロシア人』(新人物往来社、2010年)もあります。
幕末に来航したプチャーチンは、日露和親条約、日露修好通商条約を締結したことで知られています。
同書からは、プチャーチンの人物像や幕末の日露交渉はもとより、明治期のプチャーチンや長女についても、大いに学ばせていただきました。
2011年4月(その2)
拙稿「この人・この3冊 石原莞爾」が、4月17日の『毎日新聞』書評欄に掲載されました。
今年は満州事変80周年のため、本を3冊を挙げながら、石原莞爾を論じてほしいという企画でした。
ご紹介した3冊は、いずれも在庫があるそうです。
ウェブ版では見られませんが、紙面では専門家によるイラストも描かれています。
イラスト上のこととはいえ、石原莞爾と向かい合うというのも不思議な感覚ですね。
2011年4月
伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報辞典 4』(吉川弘文館、2011年)で、辞典項目「幣原喜重郎」「広田弘毅」を執筆しました。
追加情報となるものです。
2011年3月(その5)
井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』(講談社現代新書、2011年)を拝読いたしました。
昭和戦前期の社会について、アメリカ化、格差社会、大衆民主主義という今日にもつながる視座が提示されています。
サンソム夫人から農村雑誌『家の光』、近衛文麿のラジオ演説などに至るまで、縦横に論じられています。
2011年3月(その4)
拙稿「大平・鄧小平・華国鋒会談記録――1979年2、12月」(『中央大学論集』第32号、2011年3月)が公表されました。
情報公開請求によって得た外務省記録を紹介したものです。
森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)182-184、204-206頁と対応しています。
2011年3月(その3)
東アジア国際政治史研究会で、次の本が取り上げられました。
森田吉彦『評伝若泉敬――愛国の密使』(文春新書、2011年)
著者の森田先生をお招きしたうえで、野添文彬氏が報告して下さいました。
同書では、若泉敬の思想と行動が丹念に跡づけられています。
若泉といえば、佐藤栄作首相の密使として奔走した核密約が有名です。
本書では、それにとどまらず、中国問題や安全保障などをめぐる立論を体系的に追っています。
佐藤栄作との関係はもとより、福田赳夫ブレーンとしての役割、小泉純一郎に期待していたことなども、新たに論じられています。
研究者と現実政治のかかわり方についても示唆的で、京都産業大学に移ったとき政界進出を見据えていた(136頁)といったことも教えていただきました。
2011年3月(その2)
拙稿「中曽根・胡耀邦会談記録――1983、84、86年」(『総合政策研究』第19号、2011年3月)が公表されました。
情報公開請求によって得た外務省記録を紹介したものです。
2011年3月
大地震のため、中央大学のある八王子も計画停電になっています。
ようやく大学への入構が許されたところです。
当初、ここまで被害が拡大するとは、予測できませんでした。
研究室では書籍や史料、複写物などが散乱してしまい、少しずつ復旧しておりますが、まだまだ時間がかかりそうです。
未曾有の震災に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。
こんなときこそ、何かのお役に立てればと思います。
2011年2月
栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)が第3刷になりました。
波多野澄雄先生が御著書『歴史としての日米安保条約――機密外交記録が明かす「密約」の虚実』(岩波書店、2010年)282-283頁で論じられているように、東郷文彦氏らの「アメリカ局史観」に対して、条約局の立場から補うような内容になっています。
2011年1月(その4)
早稲田大学に会場をお借りして、次のような研究会を開催しました。
報告:平川幸子(早稲田大学)「書評:井上正也『日中国交正常化の政治史』(名古屋大学出版会、2010年)」
討論:井上正也(香川大学)
30人近い参加者を得て、有意義な場となりました。
2011年1月(その3)
上海に行ってきました。
主に上海市档案館を訪れました。
中華人民共和国外交部档案館よりも、新しい時代のところが公開されているようです。
史料によりますが、デジタル化が進んでいて、複写も円滑でした。
羽田空港⇔上海虹橋空港の便でしたので、以前よりも近く感じました。
2011年1月(その2)
1月9日の「NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回 “外交敗戦” 孤立への道」に少しばかり協力いたしました。
2011年1月
冬休みに北京を訪れました。
主な訪問先は、中華人民共和国外交部档案館、在中国日本大使館広報文化センターです。
外交部档案館については、
論文の執筆 → 海外調査―中華人民共和国外交部档案館を訪れる
に利用方法などを記しておきました。
在中国日本大使館広報文化センターの活動に関しては、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)286-293頁で論じたことがあります。
北京では、昼間も氷点下の日が少なくなかったようです。