Events 近況

2011年5月(その2)

拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)が第5刷になりました。

2011年5月

廣部泉『グルー――真の日本の友』(ミネルヴァ書房、2011年)を拝読いたしました。

1932年から1941年まで駐日アメリカ大使の座にあったジョセフ・グルーについて、対日関係はもとより、第1次国務次官期や国務省内の人的関係などを含めて、その生涯を描き切ったご労作です。

内外の史料を渉猟されているだけに、同書を通じて、グルーがもう少し知られるようになってくれればと思いました。

なお、グルーと幣原喜重郎の関係などについては、拙著『幣原喜重郎と二十世紀の日本―─外交と民主主義』(有斐閣、2006年)で論じたことがあります。

2011年4月(その5)

澤田次郎『徳富蘇峰とアメリカ』(慶應義塾大学出版会、2011年)を拝読しました。

明治、大正、昭和と長期にわたって影響力のあった徳富蘇峰について、対米認識の変遷を軸に跡づけたご労作です。

幼少期の愛読書からアメリカ体験、政治家への影響、さらにはアメリカ人との交友に至るまで、長年に及ぶ研究の集大成となっています。

蔵書への書き込みまで丹念に調べられるなど、高度に実証的でありながら、文体は平易で読みやすく仕上げられています。

2011年4月(その4)

白石仁章『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書、2011年)を拝読しました。

北満鉄道譲渡交渉をはじめ、インテリジェンス・オフィサーとしての杉原の軌跡が余すところなく論じられています。

私的、公的交友などのほか、命のビザについても再考されていますので、杉原についての決定版となりそうです。

白石先生には、『プチャーチン――日本人が一番好きなロシア人』(新人物往来社、2010年)もあります。

幕末に来航したプチャーチンは、日露和親条約、日露修好通商条約を締結したことで知られています。

同書からは、プチャーチンの人物像や幕末の日露交渉はもとより、明治期のプチャーチンや長女についても、大いに学ばせていただきました。

2011年4月(その3)

拙稿 “Japan’s Continental Expansion Policy and the Chinese National Revoloution Movement”(日中歴史共同研究、近現代史第1部第3章の英訳、2011年)66-94頁が公表されました。

外務省ホームページに掲載された英訳(PDFで開きます)では、70-98頁となります。

日中歴史共同研究については、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)第6章で論じています。

2011年4月(その2)

拙稿「この人・この3冊 石原莞爾」が、4月17日の『毎日新聞』書評欄に掲載されました。

今年は満州事変80周年のため、本を3冊を挙げながら、石原莞爾を論じてほしいという企画でした。

ご紹介した3冊は、いずれも在庫があるそうです。

ウェブ版では見られませんが、紙面では専門家によるイラストも描かれています。

イラスト上のこととはいえ、石原莞爾と向かい合うというのも不思議な感覚ですね。

2011年4月

伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報辞典 4』(吉川弘文館、2011年)で、辞典項目「幣原喜重郎」「広田弘毅」を執筆しました。

追加情報となるものです。

2011年3月(その5)

井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』(講談社現代新書、2011年)を拝読いたしました。

昭和戦前期の社会について、アメリカ化、格差社会、大衆民主主義という今日にもつながる視座が提示されています。

サンソム夫人から農村雑誌『家の光』、近衛文麿のラジオ演説などに至るまで、縦横に論じられています。

2011年3月(その4)

拙稿「大平・鄧小平・華国鋒会談記録――1979年2、12月」(『中央大学論集』第32号、2011年3月)が公表されました。

情報公開請求によって得た外務省記録を紹介したものです。

森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)182-184、204-206頁と対応しています。

2011年3月(その3)

東アジア国際政治史研究会で、次の本が取り上げられました。

森田吉彦『評伝若泉敬――愛国の密使』(文春新書、2011年)

著者の森田先生をお招きしたうえで、野添文彬氏が報告して下さいました。

同書では、若泉敬の思想と行動が丹念に跡づけられています。

若泉といえば、佐藤栄作首相の密使として奔走した核密約が有名です。

本書では、それにとどまらず、中国問題や安全保障などをめぐる立論を体系的に追っています。

佐藤栄作との関係はもとより、福田赳夫ブレーンとしての役割、小泉純一郎に期待していたことなども、新たに論じられています。

研究者と現実政治のかかわり方についても示唆的で、京都産業大学に移ったとき政界進出を見据えていた(136頁)といったことも教えていただきました。

2011年3月(その2)

拙稿「中曽根・胡耀邦会談記録――1983、84、86年」(『総合政策研究』第19号、2011年3月)が公表されました。

情報公開請求によって得た外務省記録を紹介したものです。

2011年3月

大地震のため、中央大学のある八王子も計画停電になっています。

ようやく大学への入構が許されたところです。

当初、ここまで被害が拡大するとは、予測できませんでした。

研究室では書籍や史料、複写物などが散乱してしまい、少しずつ復旧しておりますが、まだまだ時間がかかりそうです。

未曾有の震災に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

こんなときこそ、何かのお役に立てればと思います。

2011年2月

栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)が第3刷になりました。

波多野澄雄先生が御著書『歴史としての日米安保条約――機密外交記録が明かす「密約」の虚実』(岩波書店、2010年)282-283頁で論じられているように、東郷文彦氏らの「アメリカ局史観」に対して、条約局の立場から補うような内容になっています。

2011年1月(その4)

早稲田大学に会場をお借りして、次のような研究会を開催しました。

報告:平川幸子(早稲田大学)「書評:井上正也『日中国交正常化の政治史』(名古屋大学出版会、2010年)」

討論:井上正也(香川大学)

30人近い参加者を得て、有意義な場となりました。

2011年1月(その3)

上海に行ってきました。

主に上海市档案館を訪れました。

中華人民共和国外交部档案館よりも、新しい時代のところが公開されているようです。

史料によりますが、デジタル化が進んでいて、複写も円滑でした。

羽田空港⇔上海虹橋空港の便でしたので、以前よりも近く感じました。

2011年1月(その2)

1月9日の「NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回 “外交敗戦” 孤立への道」に少しばかり協力いたしました。

2011年1月

冬休みに北京を訪れました。

主な訪問先は、中華人民共和国外交部档案館、在中国日本大使館広報文化センターです。

外交部档案館については、

論文の執筆 → 海外調査―中華人民共和国外交部档案館を訪れる

に利用方法などを記しておきました。

在中国日本大使館広報文化センターの活動に関しては、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)286-293頁で論じたことがあります。

北京では、昼間も氷点下の日が少なくなかったようです。

2010年12月(その3)

竹内桂先生を中央大学にお招きし、明治大学所蔵「三木武夫関係資料」について報告していただきました。

非常に貴重なお話でした。深謝申し上げます。

2010年12月(その2)

拙稿「広田弘毅について」(『比較法制研究』第33号、2010年12月)が公表されました。

昨年12月、国士舘大学比較法制研究所で行った講演の記録です。

下記のところに誤植が残ってしまいました。

108頁下から3行目  (誤) 渡辺   (正) 渡部
113頁下から6行目  (誤) 判事国  (正) 判事団