Events 近況

2010年5月(その3)

政治史や外交史を研究していると、人名や役職を特定するのにひと苦労ということがあります。

特に、インタビューをテープ起こしするような場合、時として名字しか分からず、年代も曖昧になりがちです。

そんなとき、しばしば官報のデータベースが役に立つようです。

大学図書館でも利用できるのですが、使用する頻度が増えているため、少し前から個人で年間契約しています。

2010年5月(その2)

5月10日の『東京新聞』社説で、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)に論及していただきました。

2010年5月

5月1日の『朝日新聞』土曜版「be」に、「大平正芳 静かなブーム」という記事が掲載されました。

そこでは、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)にも記述を割いていただきました。

森田一氏のインタビューも紙面を飾っています。

そのほか、大平急逝までを描いた小説が映画化されるというくだりには、一驚を喫しました。

6月12日の没後30年に向けて大平は、しばらく注目され続けるのかもしれません。

2010年4月(その5)

4月25日の『毎日新聞』に森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)の書評が掲載されました。

今年は大平正芳の生誕100年、没後30年ということもあり、あらためて大平が注目されているようですね。

2010年4月(その4)

4月19日の『読売新聞』にインタビュー記事が掲載されました。

拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)に関するものです。

「田中上奏文」を研究した動機、「田中上奏文」の起源、満州事変後の情報戦、国際連盟における松岡洋右・顧維鈞論争、中国に対する広報外交、日中の発想の違い、日中歴史共同研究、今日的な意味などについて、うまくまとめていただきました。

日中歴史共同研究には批判的な報道が多かっただけに、「中国側も上奏文が偽物であることは理解し始めているという。地道な対話の意義は決して小さくないといえよう」という結語に救われたような気がいたしました。

2010年4月(その3)

三省堂書店のブログに拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)の書評が掲載されました。

内容を的確に、しかも分かりやすく紹介していただき、とても感謝しております。

神保町の三省堂書店には、高校生のころからよく足を運んでおり、懐かしく思いました。

お陰様をもちまして、ちょうど同書が増刷になったところでした。

2010年4月(その2)

4月14日の『毎日新聞』夕刊にインタビュー記事が掲載されました。

拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)に関するものです。

記者の栗原俊雄氏は、2冊の岩波新書などでも知られています。

インタビュー記事を掲載していただきましたことに、深謝申し上げます。

2010年4月

4月4日の『朝日新聞』に拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)の書評が掲載されました。この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。

2010年3月(その5)

拙稿「田中首相・ニクソン大統領会談記録――1972年8月31日、9月1日」(『人文研紀要』第68号、2010年3月)が公表されました。

日米首脳会談の外務省記録を翻刻したものです。

会談では、田中、ニクソンのほか、大平外相やキッシンジャー補佐官も加わり、貿易摩擦や中国問題について議論しています。

2010年3月(その4)

3月21日の『東京新聞』、『中日新聞』に拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)の書評が掲載されました。

川島真先生によるものです。

書評で採り上げていただきましたことに、深く御礼申し上げます。

拙著では、歴史問題の形成過程を昭和初期にさかのぼって論じ、宣伝や情報、東京裁判、現代日中関係などを分析してあります。

もともとが「田中上奏文」という怪文書だけに、なかなか原稿が進まず、脱稿できないかもしれないとすら思えた時期もありました。

それだけに、主要紙で書評を掲載していただき、とても感謝しております。

2010年3月(その3)

拙稿「顧維鈞とブリュッセル会議──『条約の神聖』を求めて」(中央大学人文科学研究所編『中華民国の模索と苦境 1928~1949』中央大学出版部、2010年3月)が刊行されました。

ブリュッセル会議とは、日中開戦後の1937年11月にベルギーの首都ブリュッセルで開催された国際会議です。

日本は不参加でしたが、中国の顧維鈞駐仏大使、イギリスのイーデン外相とマクドナルド植民地大臣、フランスのデルボス外相、ベルギーのスパーク外相、イタリアのアルドロバンディ大使、アメリカのディビス元国務次官とホーンベック国務省顧問、ソ連のリトヴィノフ外務人民委員らが出席します。

顧維鈞は、日本への制裁と対中支援を各国に働きかけますが、奏功しませんでした。

拙稿では、その経緯を顧維鈞の視点から跡づけています。

2010年3月(その2)

森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)に関連して、少し前のものですが、いくつか新聞のリンクを貼っておきます。

『朝日新聞』2009年12月8日
『京都新聞』2009年12月18日
『四国新聞』2009年12月19日

2010年3月

森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)が刊行されました。

元運輸大臣で、大平正芳の女婿、秘書官としても知られる森田氏へのオーラル・ヒストリーです。

もともと大蔵官僚の森田氏ですが、大平の秘書官を長年務めており、大平が首相在任中の1980年に急逝すると、香川の地盤を引き継いで政治家に転じます。

森田氏に、とりわけ外交面から大平を存分に語っていただいたのが本書にほかなりません。

2度の外相や首相期における大平の外交や地域秩序構想、さらには日米「密約」について、側近中の側近ともいうべき森田氏に大いに論じていただきました。

ここでいう「密約」とは、日米安保改定時の核密約と、沖縄返還における財政密約を指します。

ライシャワー駐日大使から核密約について説得を受けた大平は、核密約を国民に知らせるべきではないかと長く苦悩し、首相期には側近に公表を打診します。

一方の財政密約とは、沖縄返還に際して日本が400万ドルを肩代わりしていたもので、森田氏は大蔵官僚として関与していたことをありのままに語っています。

内政面でも、大平の描いた国家像、田中角栄ら有力政治家とのやりとり、宏池会の系譜、「加藤の乱」などについて、率直に述べられています。

目次と主な内容については、第一法規のホームページをご参照いただければ幸いです。

今年は大平没後30年であると同時に、生誕100年でもあります。

同書では森田氏をはじめ、多数のインタビューアーや第一法規の編集者にご尽力いただきました。
本書が外交面を軸としながらも、多角的に大平政治を掘り起こせているとすれば、皆さんが関連の文献を精査するなど周到な準備で臨んでいただいた結果にほかなりません。

多くの方々のご協力なくして、本書が世に問われることはなかったと思います。

関係各位に深謝申し上げます。

2010年2月

拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)が刊行されました。

「田中上奏文」とは、田中義一首相兼外相が1927年に昭和天皇に宛てたとされる怪文書です。

日本では戦前から偽書と見なされてきましたし、間違いなく偽書なのですが、中国などでは実存が信じられがちです。

日本では一笑に付されがちな「田中上奏文」ではありますが、いかに世界中に流布し、なぜ中国などでいまも本物と見なされがちなのかという疑問から拙著は始まります。

本書では、真の作成者、流通過程、マスメディアの役割、宣伝外交、国際連盟における論争、ラジオや映画を含む情報戦、東京裁判、中国や台湾の党史編纂、歴史問題などを跡づけました。

現代的な問題でもあるため、戦後にかなりの記述を割いています。

対中広報や民間交流、日中歴史共同研究などの分析を通じて、この問題の出口を探りました。

文書の頒布を論述の軸としていることもあり、図版や表を多く入れていただきました。

学生のころから気になっていた「田中上奏文」について、ようやく仕上げることができました。

2010年1月(その2)

日中歴史共同研究の報告書が1月31日に公表されました。

私は外部執筆委員として、近現代史第1部第3章「日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動」を担当いたしました。

1914年から1931年ごろを扱う章で、論題は2007年に参加した時点で決められていました。

共同研究では、諸先生方をはじめ、外務省や事務局の方々にも本当にお世話になりました。

2010年1月

パンフレット「朝日新聞《復刻版》完結記念特集」(日本図書センター)に推薦文を寄せました。

2009年12月(その2)

日中歴史共同研究の第4回全体会合が東京で開かれました。

近現代史の第3部、つまり戦後日中関係史を除いて、報告書は1カ月以内に公表されることになりました。

末席ながら外部執筆委員として、近現代史の第1部第3章を担当させていただきました。

関係各位には、大変にお世話になりました。

日中歴史共同研究については、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010(仮)』(東京大学出版会、2010年2月刊行予定)でも論及する予定です。

2009年12月

国士舘大学比較法制研究所で、「広田弘毅について」と題してお話ししました。

同校を訪れたのは、拙著『幣原喜重郎と二十世紀の日本―─外交と民主主義』(有斐閣、2006年)の執筆時以来です。

大学発祥の地となった講堂も見せていただきました。

また、同校には、拙著『広田弘毅』(中公新書、2008年)で使用した東京裁判での広田弁護記録を所蔵していただけることになりました。

同校と花井忠弁護人、そして玄洋社の関係を考え合わせると、感慨深いものがあります。

2009年11月

日本国際政治学会が神戸国際会議場で開催されました。

部会「日中関係の過去と現在」で、「『田中上奏文』の戦前と戦後」と題して報告いたしました。

司会、討論、フロアーの諸先生方からご意見をたまわり、とても有意義でした。

今後の研究に活かしていければと思います。

「田中上奏文」については、いずれ学術書にまとめたいと考えています。

2009年10月

日本政治学会が日本大学法学部で開催され、分科会「新外交と中道政治の展開――芦田均の戦前と戦後」で討論を務めました。

主に戦前の芦田について、2人の報告者が実証的かつ多面的に論じて下さいました。