Events 近況
2010年3月(その4)
3月21日の『東京新聞』、『中日新聞』に拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)の書評が掲載されました。
川島真先生によるものです。
書評で採り上げていただきましたことに、深く御礼申し上げます。
拙著では、歴史問題の形成過程を昭和初期にさかのぼって論じ、宣伝や情報、東京裁判、現代日中関係などを分析してあります。
もともとが「田中上奏文」という怪文書だけに、なかなか原稿が進まず、脱稿できないかもしれないとすら思えた時期もありました。
それだけに、主要紙で書評を掲載していただき、とても感謝しております。
2010年3月(その3)
拙稿「顧維鈞とブリュッセル会議──『条約の神聖』を求めて」(中央大学人文科学研究所編『中華民国の模索と苦境 1928~1949』中央大学出版部、2010年3月)が刊行されました。
ブリュッセル会議とは、日中開戦後の1937年11月にベルギーの首都ブリュッセルで開催された国際会議です。
日本は不参加でしたが、中国の顧維鈞駐仏大使、イギリスのイーデン外相とマクドナルド植民地大臣、フランスのデルボス外相、ベルギーのスパーク外相、イタリアのアルドロバンディ大使、アメリカのディビス元国務次官とホーンベック国務省顧問、ソ連のリトヴィノフ外務人民委員らが出席します。
顧維鈞は、日本への制裁と対中支援を各国に働きかけますが、奏功しませんでした。
拙稿では、その経緯を顧維鈞の視点から跡づけています。
2010年3月(その2)
森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)に関連して、少し前のものですが、いくつか新聞のリンクを貼っておきます。
『朝日新聞』2009年12月8日
『京都新聞』2009年12月18日
『四国新聞』2009年12月19日
2010年3月
森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)が刊行されました。
元運輸大臣で、大平正芳の女婿、秘書官としても知られる森田氏へのオーラル・ヒストリーです。
もともと大蔵官僚の森田氏ですが、大平の秘書官を長年務めており、大平が首相在任中の1980年に急逝すると、香川の地盤を引き継いで政治家に転じます。
森田氏に、とりわけ外交面から大平を存分に語っていただいたのが本書にほかなりません。
2度の外相や首相期における大平の外交や地域秩序構想、さらには日米「密約」について、側近中の側近ともいうべき森田氏に大いに論じていただきました。
ここでいう「密約」とは、日米安保改定時の核密約と、沖縄返還における財政密約を指します。
ライシャワー駐日大使から核密約について説得を受けた大平は、核密約を国民に知らせるべきではないかと長く苦悩し、首相期には側近に公表を打診します。
一方の財政密約とは、沖縄返還に際して日本が400万ドルを肩代わりしていたもので、森田氏は大蔵官僚として関与していたことをありのままに語っています。
内政面でも、大平の描いた国家像、田中角栄ら有力政治家とのやりとり、宏池会の系譜、「加藤の乱」などについて、率直に述べられています。
目次と主な内容については、第一法規のホームページをご参照いただければ幸いです。
今年は大平没後30年であると同時に、生誕100年でもあります。
同書では森田氏をはじめ、多数のインタビューアーや第一法規の編集者にご尽力いただきました。
本書が外交面を軸としながらも、多角的に大平政治を掘り起こせているとすれば、皆さんが関連の文献を精査するなど周到な準備で臨んでいただいた結果にほかなりません。
多くの方々のご協力なくして、本書が世に問われることはなかったと思います。
関係各位に深謝申し上げます。
2010年2月
拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)が刊行されました。
「田中上奏文」とは、田中義一首相兼外相が1927年に昭和天皇に宛てたとされる怪文書です。
日本では戦前から偽書と見なされてきましたし、間違いなく偽書なのですが、中国などでは実存が信じられがちです。
日本では一笑に付されがちな「田中上奏文」ではありますが、いかに世界中に流布し、なぜ中国などでいまも本物と見なされがちなのかという疑問から拙著は始まります。
本書では、真の作成者、流通過程、マスメディアの役割、宣伝外交、国際連盟における論争、ラジオや映画を含む情報戦、東京裁判、中国や台湾の党史編纂、歴史問題などを跡づけました。
現代的な問題でもあるため、戦後にかなりの記述を割いています。
対中広報や民間交流、日中歴史共同研究などの分析を通じて、この問題の出口を探りました。
文書の頒布を論述の軸としていることもあり、図版や表を多く入れていただきました。
学生のころから気になっていた「田中上奏文」について、ようやく仕上げることができました。
2010年1月(その2)
日中歴史共同研究の報告書が1月31日に公表されました。
私は外部執筆委員として、近現代史第1部第3章「日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動」を担当いたしました。
1914年から1931年ごろを扱う章で、論題は2007年に参加した時点で決められていました。
共同研究では、諸先生方をはじめ、外務省や事務局の方々にも本当にお世話になりました。
2010年1月
パンフレット「朝日新聞《復刻版》完結記念特集」(日本図書センター)に推薦文を寄せました。
2009年12月(その2)
日中歴史共同研究の第4回全体会合が東京で開かれました。
近現代史の第3部、つまり戦後日中関係史を除いて、報告書は1カ月以内に公表されることになりました。
末席ながら外部執筆委員として、近現代史の第1部第3章を担当させていただきました。
関係各位には、大変にお世話になりました。
日中歴史共同研究については、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010(仮)』(東京大学出版会、2010年2月刊行予定)でも論及する予定です。
2009年12月
国士舘大学比較法制研究所で、「広田弘毅について」と題してお話ししました。
同校を訪れたのは、拙著『幣原喜重郎と二十世紀の日本―─外交と民主主義』(有斐閣、2006年)の執筆時以来です。
大学発祥の地となった講堂も見せていただきました。
また、同校には、拙著『広田弘毅』(中公新書、2008年)で使用した東京裁判での広田弁護記録を所蔵していただけることになりました。
同校と花井忠弁護人、そして玄洋社の関係を考え合わせると、感慨深いものがあります。
2009年11月
日本国際政治学会が神戸国際会議場で開催されました。
部会「日中関係の過去と現在」で、「『田中上奏文』の戦前と戦後」と題して報告いたしました。
司会、討論、フロアーの諸先生方からご意見をたまわり、とても有意義でした。
今後の研究に活かしていければと思います。
「田中上奏文」については、いずれ学術書にまとめたいと考えています。
2009年10月
日本政治学会が日本大学法学部で開催され、分科会「新外交と中道政治の展開――芦田均の戦前と戦後」で討論を務めました。
主に戦前の芦田について、2人の報告者が実証的かつ多面的に論じて下さいました。
2009年9月
拙稿 「大平・金鍾泌会談記録――1962年秋」(『人文研紀要』第65号、2009年9月)が公表されました。
大平・金鍾泌会談とは、1962年10月20日と11月12日に東京で行われた大平正芳外相と金鍾泌韓国中央情報部長の会談です。
当時は池田勇人内閣で、金の訪米を挟んで会談は2度開催されました。
大平と金は、経済協力として無償で3億ドル、長期低利借款2億ドル、民間信用供与1億ドル以上で合意します。大平・金メモと呼ばれるものです。
拙稿では、大平・金会談に関する8つの文書を紹介しました。
2009年8月
何度か軽井沢に行って来ました。
といっても避暑のためではなく、諸先生方とともに、ある方にオーラル・ヒストリーを実施しています。
10数回のインタビューを重ね、ようやく最も活躍された時期の直前まで進んでまいりました。
いずれ、何らかの形で公にできればとも考えております。
2009年7月
アジア歴史資料センターに新しいコンテンツが加わりました。
これを機に、多くの方がアジ歴になじんでいただければと思います。
2009年6月
政治家や外交官へのオーラル・ヒストリーを進めています。
政策形成の過程や人的関係、時代の雰囲気などは、なかなか公文書からは読み取れないところだと思います。
それだけに、直接にお話を聞くことの意義はありそうです。
何かの形で後世に残せればと考えています。
2009年5月
拙著『広田弘毅――「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年)について、1点だけ触れておきます。
この本では同じ文献から連続して引用する場合に、煩雑さを避けるべく、直接引用の最初にだけ文中の注を入れてあります。
新書ですので、すべてに注を入れることは認められないためです。
例えば、229頁末から230頁にかけて、広田が国際検察局の尋問に対して玄洋社の一員だったと語っています。
この会話は直前の文献、つまり、『国際検察局(IPS)尋問調書』第28巻からの引用でして、創作でないことはもちろんです。
『国際検察局(IPS)尋問調書』第28巻の書誌情報については、参考文献291頁上段に記されています。
関心を示して下さった読者が出典をたどれるように、参考文献はできるだけ丁寧に作成したつもりです。
このため参考文献は、二段組みで15頁と、新書にしてはかなり長くなってしまいました。
長い参考文献を掲載して下さった出版社には、とても感謝しております。
それにしても、あれからもう1年が流れたのですね。
2009年4月
春休みにアメリカとオーストラリアで史料調査を行いました。テーマは、「田中上奏文」です。
「田中上奏文」については以下の論文を公表してきましたが、戦後を含めて関連の史料をさらに追っています。
「『田中上奏文』と日中関係」(中央大学人文科学研究所編『民国後期中国国民党政権の研究』中央大学出版部、2005年)
「『田中上奏文』をめぐる論争──実存説と偽造説の間」(劉傑・三谷博・楊大慶編『国境を越える歴史認識―─日中対話の試み』東京大学出版会、2006年)
「満州事変後の日中宣伝外交とアメリカ──『田中上奏文』を中心として」(服部龍二・土田哲夫・後藤春美編『戦間期の東アジア国際政治』中央大学出版部、2007年)
怪文書だけに調査はなかなか進みませんが、日中関係における歴史認識という問題でもあり、もう少し考えてみたいと思います。
2009年3月(その3)
拙稿「日本外交と国際政治」(中央大学総合政策学部編『新たな「政策と文化の融合」──総合政策の挑戦』(中央大学出版部、2009年3月)が刊行されました。
学部創設15周年に寄せて、いままでの研究を振り返ったものです。
2009年3月(その2)
拙稿「宮澤談話に関する一史料」(『中央大学論集』第30号、2009年3月)が公表されました。
いわゆる第1次歴史教科書問題について、情報公開請求によって得た外務省開示文書を紹介し、若干のインタビューを加味しました。
2009年3月
拙稿「戦間期アジア国際政治史」(日本国際政治学会編/李鍾元・田中孝彦・細谷雄一責任編集『日本の国際政治学 第4巻 歴史の中の国際政治』有斐閣、2009年3月)が刊行されました。
日本国際政治学会の50周年記念論文集に寄せたものです。
引用文献が多かったため、本文は短くなっています。