Events 近況
2009年9月
拙稿 「大平・金鍾泌会談記録――1962年秋」(『人文研紀要』第65号、2009年9月)が公表されました。
大平・金鍾泌会談とは、1962年10月20日と11月12日に東京で行われた大平正芳外相と金鍾泌韓国中央情報部長の会談です。
当時は池田勇人内閣で、金の訪米を挟んで会談は2度開催されました。
大平と金は、経済協力として無償で3億ドル、長期低利借款2億ドル、民間信用供与1億ドル以上で合意します。大平・金メモと呼ばれるものです。
拙稿では、大平・金会談に関する8つの文書を紹介しました。
2009年8月
何度か軽井沢に行って来ました。
といっても避暑のためではなく、諸先生方とともに、ある方にオーラル・ヒストリーを実施しています。
10数回のインタビューを重ね、ようやく最も活躍された時期の直前まで進んでまいりました。
いずれ、何らかの形で公にできればとも考えております。
2009年7月
アジア歴史資料センターに新しいコンテンツが加わりました。
これを機に、多くの方がアジ歴になじんでいただければと思います。
2009年6月
政治家や外交官へのオーラル・ヒストリーを進めています。
政策形成の過程や人的関係、時代の雰囲気などは、なかなか公文書からは読み取れないところだと思います。
それだけに、直接にお話を聞くことの意義はありそうです。
何かの形で後世に残せればと考えています。
2009年5月
拙著『広田弘毅――「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年)について、1点だけ触れておきます。
この本では同じ文献から連続して引用する場合に、煩雑さを避けるべく、直接引用の最初にだけ文中の注を入れてあります。
新書ですので、すべてに注を入れることは認められないためです。
例えば、229頁末から230頁にかけて、広田が国際検察局の尋問に対して玄洋社の一員だったと語っています。
この会話は直前の文献、つまり、『国際検察局(IPS)尋問調書』第28巻からの引用でして、創作でないことはもちろんです。
『国際検察局(IPS)尋問調書』第28巻の書誌情報については、参考文献291頁上段に記されています。
関心を示して下さった読者が出典をたどれるように、参考文献はできるだけ丁寧に作成したつもりです。
このため参考文献は、二段組みで15頁と、新書にしてはかなり長くなってしまいました。
長い参考文献を掲載して下さった出版社には、とても感謝しております。
それにしても、あれからもう1年が流れたのですね。
2009年4月
春休みにアメリカとオーストラリアで史料調査を行いました。テーマは、「田中上奏文」です。
「田中上奏文」については以下の論文を公表してきましたが、戦後を含めて関連の史料をさらに追っています。
「『田中上奏文』と日中関係」(中央大学人文科学研究所編『民国後期中国国民党政権の研究』中央大学出版部、2005年)
「『田中上奏文』をめぐる論争──実存説と偽造説の間」(劉傑・三谷博・楊大慶編『国境を越える歴史認識―─日中対話の試み』東京大学出版会、2006年)
「満州事変後の日中宣伝外交とアメリカ──『田中上奏文』を中心として」(服部龍二・土田哲夫・後藤春美編『戦間期の東アジア国際政治』中央大学出版部、2007年)
怪文書だけに調査はなかなか進みませんが、日中関係における歴史認識という問題でもあり、もう少し考えてみたいと思います。
2009年3月(その3)
拙稿「日本外交と国際政治」(中央大学総合政策学部編『新たな「政策と文化の融合」──総合政策の挑戦』(中央大学出版部、2009年3月)が刊行されました。
学部創設15周年に寄せて、いままでの研究を振り返ったものです。
2009年3月(その2)
拙稿「宮澤談話に関する一史料」(『中央大学論集』第30号、2009年3月)が公表されました。
いわゆる第1次歴史教科書問題について、情報公開請求によって得た外務省開示文書を紹介し、若干のインタビューを加味しました。
2009年3月
拙稿「戦間期アジア国際政治史」(日本国際政治学会編/李鍾元・田中孝彦・細谷雄一責任編集『日本の国際政治学 第4巻 歴史の中の国際政治』有斐閣、2009年3月)が刊行されました。
日本国際政治学会の50周年記念論文集に寄せたものです。
引用文献が多かったため、本文は短くなっています。
2009年2月(その2)
拙稿「金大中事件に関する一史料」(『総合政策研究』第17号、2009年2月)が公表されました。
情報公開請求によって得た外務省開示文書を紹介したものです。
十分な内容とはとてもいえませんが、史料公開の現状を示すものとして活字にしてみました。
2009年2月
拙稿「書評:高光佳絵『アメリカと戦間期の東アジア──アジア・太平洋国際秩序形成と「グローバリゼーション」』」(『歴史学研究』第850号、2009年2月)が公表されました。
次の2カ所に誤植が残ってしまいました。
・55頁右側書名
誤:「グローバリゼーション──」
正:「グローバリゼーション」──
・58頁右側17行目
誤:対象としたこととの裏返し
正:対象としたことの裏返し
2009年1月
戸部良一・服部龍二・冨塚一彦「論評 『日本外交文書』昭和期Ⅱ第1部第5巻所収「川越・張群会談」関係文書について」(『外交史料館報』第22号、2008年12月)が公表されました。
外務省編『日本外交文書』昭和期Ⅱ第1部第5巻(外務省、2008年)に関する論評会の記録です。
論評会は、1936年秋の川越・張群会談を中心に行われました。
川越茂と張群は、それぞれ駐華大使と外交部長でした。
日本でいえば、広田弘毅内閣、有田八郎外務大臣の時代です。
この時代を象徴するかのように、日中交渉は決裂します。
2008年12月(その3)
拙著『広田弘毅』(中公新書)の書評などが次の各紙に掲載されました。
『毎日新聞』12月14日、今年の3冊
『読売新聞』12月28日、今年の3冊
『西日本新聞』12月28日、書評
同書の執筆時には、新聞などで採り上げていただけるとは思っておりませんでした。
関係各位に深く御礼申し上げます。
2008年12月(その2)
佐道明広・小宮一夫・服部龍二編『人物で読む近代日本外交史──大久保利通から広田弘毅まで』(吉川弘文館、2009年)が刊行されました。
本書でも、多くの先生方にご指導いただきました。心より御礼申し上げます。
私の担当は、「時代概説 協調外交から地域主義へ」「幣原喜重郎 霞ヶ関正統派外交から超党派外交へ」「広田弘毅 協和外交の破綻」「コラム 『田中上奏文』と対日イメージ」「エピローグ 日本外交の主役たち」です。
このうち、「時代概説 協調外交から地域主義へ」後半にある人物のプロフィールは、原則として各執筆者が書いて下さったものです。
2008年12月
日中歴史研究者フォーラムで司会者と討論者を務めました。
ある科研費の集大成ともいうべきもので、多くの方々にお世話になりました。
こちらにリンクを貼っておきます。
2008年11月(その2)
佐道明広・小宮一夫・服部龍二編『人物で読む現代日本外交史──近衛文麿から小泉純一郎まで』(吉川弘文館、2008年)が11月29日の『産経新聞』に紹介されました。
こちらにリンクを貼っておきます。
また、麻生首相が同書を八重洲ブックセンターで購入されたようです。
YOMIURI ONLINEとasahi.comのリンクを貼っておきます。
2008年11月
佐道明広・小宮一夫・服部龍二編『人物で読む現代日本外交史──近衛文麿から小泉純一郎まで』(吉川弘文館)が刊行されました。
同書では、大変多くの方にお世話になりましたことに深謝申し上げます。
私の担当は、「プロローグ 戦中から戦後へ」「時代概説 日中戦争から太平洋戦争へ」「コラム 欧米派と革新派」です。
このうち、「時代概説 日中戦争から太平洋戦争へ」後半にある人物のプロフィールは、原則として各執筆者が書いて下さったものです。
2008年10月(その2)
日本国際政治学会がつくば国際会議場で開催され、次の分科会で討論者を務めました。
東アジア国際政治史Ⅰ「戦間期における東アジアを巡る日中米英の対外秩序構想」
日本、中国、アメリカ、イギリス研究の第一人者によるご報告で、大変に勉強になりました。
2008年10月
日本政治学会が関西学院大学で開催され、次の2つの分科会で討論者を務めました。
「昭和の外交官──有田八郎、重光葵、東郷茂徳」、
「戦時日本の国民意識──国策グラフ雑誌『写真週報』を通じて」
後者の主要な成果は、慶應義塾大学出版会からほぼ同名で刊行されています。
2008年9月
9月7日の『朝日新聞』と『読売新聞』に、拙著『広田弘毅』(中公新書)の書評が掲載されました。
関係各位に深謝申し上げます。
また、同書では、多くの方々にご意見や感想を寄せていただきました。
そのすべてにお応えすることは到底できませんが、この場を借りて心より御礼申し上げます。