Events 近況

2008年8月

拙編『王正廷回顧録 Looking Back and Looking Forward』(中央大学出版部、2008年)が刊行されました。

王正廷は、外交部長や駐米大使を歴任した中国の著名な外交官です。

少しでもお役に立つところがあれば幸いです。

なお、次のところに誤植が残ってしまいました。

・13頁9行目
 誤:chinese
 正:Chinese

2008年7月

7月27日の『毎日新聞』「本と人」にインタビュー記事が掲載されました。
拙著『広田弘毅──「悲劇の宰相」の実像』(中公新書)に関するものです。

2008年6月(その2)

拙著『広田弘毅──「悲劇の宰相」の実像』(中公新書)が刊行されました。

広田は、1930年代に外相や首相を歴任した外交官で、東京裁判で文官唯一の絞首刑となった人物としても知られています。

2008年6月

東アジア近代史学会のシンポジウム「東アジアにけおる日米開戦の視座──政策決定過程の史料分析からの再検討」で司会を務めました。

司会の不手際で最後の討論が不十分となってしまい、申し訳なく思っています。

2008年5月(その2)

拙稿「読書案内:歴史認識問題」(『歴史と地理』第614号、2008年5月)が公表されました。

2008年5月

ゴールデンウィークに中国の青島、威海、済南、曲阜に行ってきました。日中歴史共同研究に参加するためです。あとは東京での会議を残すだけとなったようです。

2008年4月

『張学良関係文書』(雄松堂)のパンフレットに拙文を寄せました。こちらにリンクを貼っておきます。

2008年3月(その4)

拙稿「書評:酒井哲哉著『近代日本の国際秩序論』」(『日本歴史』第719号、2008年4月)が公表されました。

2008年3月(その3)

五百旗頭真編『日米関係史』有斐閣、2008年3月)が刊行されました。

同書のうち、「ワシントン体制 1920年代」の一部、「日本の戦争とアメリカの不承認 1930年代」の一部を担当しています。

2008年3月(その2)

伊藤信哉編著『外交時報総目次・執筆者索引──戦前編』(日本図書センター)のパンフレットに拙文を寄せました。

こちらに同書へのリンクを貼っておきます。

2008年3月

日中歴史共同研究の近現代史分科会が鹿児島で開かれました。
仙巌園という島津家の別邸や、知覧特攻平和会館にも行ってきました。

2008年2月(その2)

拙稿「書評:殷燕軍著『日中講和の研究──戦後日中関係の原点』」(『史学雑誌』第117編第1号、2008年1月)が公表されました。
同書につきましては、東アジア国際政治史研究会でも取り上げました。

2008年2月

拙稿「日本研究における外国史料の活用」(『日本史研究』第544号、2007年12月)が公表されました。
京都で行われた例会の報告要旨です。

2008年1月

日中歴史共同研究のため北京に出張してきました。

こちらに外務省ホームページのリンクを貼っておきます。

6、7月ごろに最終報告を公表するようですので、そろそろ担当のところを仕上げなければなりません。

どのようにまとめるべきか、しばらくは思案することになりそうです。

2007年12月(その2)

「学界展望」(『年報政治学』2007年-Ⅱ)が刊行されました。

ただし、私が直接に担当したのは、ごく一部にすぎません。

2007年12月

拙稿「幣原喜重郎」(伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報辞典 3』吉川弘文館、2007年)288頁が刊行されました。

といっても、辞典項目にすぎないものです。

2007年11月(その3)

日中歴史共同研究の近現代史分科会が九州大学で開かれました。

会議の内容をふまえて、いずれ報告書が公表されると思います。

総長室にある孫文と郭沫若の書も拝見いたしました。

2007年11月(その2)

シンポジウム「清末中華民国初期の日中関係──協力と対立の時代」が東大駒場で開催されました。

こちらにリンクを貼っておきます。

私は、「広田弘毅と中国」と題して報告いたしました。

広田弘毅については、もう少し深めてみたいと思います。

2007年11月

昨年に引き続き、学園祭で解錠や巡回などを担当いたしました。

天候にも恵まれ、今年もにぎやかだったようです。

2007年10月

10月30日の『朝日新聞』「歴史は生きている」に、服部龍二・土田哲夫・後藤春美編『戦間期の東アジア国際政治』(中央大学出版部、2007年)が紹介されました。

といっても、書名だけですが。

こちらにリンクを貼っておきます。