Events 近況

2006年3月(その4)

拙稿「幣原喜重郎の政策と人脈」(『中央大学論集』第27号、2006年3月)21-57頁が刊行されました。

2006年3月(その3)

早稲田大学で開催されたシンポジウム「国境を越える歴史認識」にて、「『田中上奏文』をめぐる論争──実存説と偽造説の間」を報告しました。

会議の内容については、東京大学出版会から共著として5月ごろに刊行予定です。

2006年3月(その2)

しばらく海外にて史料を調査しました。

2006年3月

外務省外交史料館にて、「幣原喜重郎について──外務省記録とその周辺」と題してお話ししました。

2006年2月

ようやく期末試験の採点を終えました。なかには受講生が400名をゆうに超える科目もあり、骨の折れる作業でした。

2006年1月

年明けに、共著に関する研究合宿などがありました。
そのほか、今年は5年ぶりに学術書の刊行を予定しています。

2005年12月(その2)

猪口孝ほか編『国際政治事典』(弘文堂、2005年)に下記の事典項目が掲載されました。

「9カ国条約」「5カ国条約「山東問題」「幣原外交」「南洋群島委任統治」「パリ平和会議への日本参加」「4カ国条約」「ワシントン会議」「ワシントン体制」

2005年12月

台北の台湾大学を訪問しました。日台研究フォーラムにて、報告するためです。

自民党の改憲案に関連して、憲法第9条の成立過程や象徴天皇制との関係などについてお話ししました。

会場には、120名以上が参加されたそうです。こちらに、リンクを貼っておきます。

会議後には国民党の本部に向かい、統一地方選挙の速報を見届けました。選挙は最大野党・国民党の大勝に終わりました。

2005年11月(その4)

東大社研の研究会にて、「近代日本の東アジア国際秩序観─―幣原喜重郎を中心として」と題して、報告しました。

2005年11月(その3)

『中央大学学員時報』第432号(2005年11月25日)のコーナー「両談」から依頼を受け、現代政治についてのコラムを寄稿しました。

同紙は中央大学の学内紙です。こちらに、リンクを貼っておきます。ただし、学外からは、閲覧できないかもしれません。

2005年11月(その2)

札幌で開催された日本国際政治学会にて、部会「アジア主義の行方」の司会を務めました。

2005年11月

中央大学人文科学研究所編『民国後期中国国民党政権の研究』中央大学出版部、2005年)の書評研究会がありました。とても勉強になりました。

2005年10月(その3)

ロシア史研究会にて、「満州事変前後の日ソ関係」というシンポジウムが開催されました。

報告者4名、討論者2名のほか、質問も多数あり4時間以上にも及びました。

私は、「満州事変前の日ソ関係─―日本外交史の側から」と題して報告しました。

こちらに、リンクを貼っておきます。レジュメと報告書がアップロードされています。

なお、『ロシア史研究』第78号に大会特集号として掲載されるそうです。

2005年10月(その2)

拙稿「幣原喜重郎と戦後政治」(『人文研紀要』第55号、2005年10月)1-37頁、が公表されました。

幣原の首相期を軸としたものですが、1948年元旦の石橋湛山あて書簡なども、印象に残っています。

そのほかの史料なども含めて、いずれ書き改めたいと思います。

2005年10月

『読売新聞』10月14日夕刊の「気鋭新鋭」に、研究が紹介されました。

2005年9月

拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)が第4刷になりました。今回も、いくつか手を加えてあります。

2005年8月(その2)

中央大学のオープンキャンパスにて、お話しさせていただきました。

台風の直後にもかかわらず、大勢の高校生や父兄の方が、来て下さったようです。

2005年8月

靖国問題が、論争となっているようです。世論調査などによると、少なからず、首相の参拝に賛成の意見があるようです。重要なのは、賛否そのものよりも、その理由づけだろうと思われます。

おそらく、参拝賛成論は、3つに分かれるのでしょう。第1に、素朴に戦没者の霊をなぐさめて欲しいというもの。第2に、中国や韓国に批判されて参拝しないようでは、国家としての威信にかかわる、というもの。第3に、A級戦犯という考え方、つまり東京裁判そのもの、ひいてはサンフランシスコ講和を批判するもの。「東京裁判史観」や「自虐史観」の呪縛から解放されるべきだ、という考え方にも通じます。

これらの議論について、ここでとやかく言うつもりは、ありません。ただし、感情に訴えるような政治の手法は、一時的に求心力を高めても、最終的には成功しないと考えられます。やがて、そのツケは、自国に跳ね返ってくるはずです。

思えば、近代の日本は、イギリスやアメリカとの協調下で、中国やロシアに対処することを基調としたはずでした。それが、いつの間にか、中国のみならず、イギリスやアメリカとも対峙していきました。

靖国問題を突き詰めていくと、東京裁判やサンフランシスコ講和に行き着くようです。このため、アジアはもとより、欧米との関係にも、波及しかねないものと危惧されます。

いずれにせよ、この問題で、首相ごとにブレがあるのは、賢明ではありません。諸外国から言われる以前のことでもあり、国内の、少なくとも党内のコンセンサスを高める必要がありそうです。

これは、小泉首相の参拝是非というよりも、日本の根幹にかかわってくる問題なのでしょう。次期政権はもとより、ひいては日本の将来を見据えて、できれば諸外国とも共有できるような国民的コンセンサスを練り直していく。戦後60周年を、そんな年にするのは、不可能なのでしょうか。

なお、サンフランシスコ講和条約の受諾演説において、吉田首相は同条約を、「復讐の条約ではなく、和解と信頼の文書」だとしています。

2005年7月

拙稿”Shidehara Kijuro and the Supra-Party Diplomacy, 1950,”(『中央大学政策文化総合研究所年報』、第8号、2005年6月) pp. 171-187, が発行されました。

幣原喜重郎の超党派外交に関する史料紹介です。抜刷については、9月ごろに公表予定の2本と合わせてお送りしたいと思います。

2005年6月

拙稿「大学史料館」が、学内の通信誌『草のみどり』(第186号、2005年6月号)に掲載されました。PDF版にて、こちらに公開しておきます。