Events 近況
2005年5月
ある高校生向けの雑誌により、研究室の訪問を受けました。PDF版にて、こちらに公開しておきます。
出典は、『受験科情報誌Azest』2005年5月号(Z会高校コース会員向け情報誌)です。
2005年4月
拙稿「『田中上奏文』と日中関係」(中央大学人文科学研究所編『民国後期中国国民党政権の研究』中央大学出版部、2005年)が刊行されました。
同稿では、下記のように、誤植が残ってしまいました。
483頁7行目 (誤)情報局 (正)情報部
申し訳ないことに、抜刷はございません。その続編を準備しています。
2005年3月
若枝一憲述、服部龍二・瀬戸口勲編「新ODA大綱の策定」(『総合政策研究』、第12号、2005年)が活字になりました。
外務省の方に、2003年の新ODA大綱について、語っていただいたものです。本当は、その後の質疑応答が面白かったのですが、諸般の事情により、省略となりました。
私への抜刷の割り当ては、あまりありません。研究会などで、少しはお配りしました。
2005年2月
拙稿「幣原喜重郎の戦前と戦後―東京裁判を超えて―」(『中央大学論集』、第26号、2005年、1-15頁)が公表されました。
最晩年の幣原について、東京裁判とのかかわり、外務省の保全、対外認識、超党派外交などを論じたものです。
2005年1月
冬休みをアメリカですごしました。
成田空港では、アメリカ便について、「鍵をかけたまま荷物を預けた場合には、中身を確認するため、壊されるかもしれない」と言われました。アメリカの入管では、ビザなしでも指紋と写真をとられるなど、かなり厳しくなっています。
帰国してからは、中央大学主催のシンポジウムにて、討論者を務めさせていただきました。
2004年12月
来年度より、博士後期課程も担当させていただくことになりました。学部の授業担当も増えますので、かなり忙しくなりそうです。
2004年11月
拙稿「盧溝橋事件における国民政府外交部と冀察政務委員会―外交部档案『盧溝橋事件―本部與冀察当局商洽情形―』を中心に―」(『人文研紀要』、第51号、2004年、1-35頁)が公表されました。
5年前に台湾の外交部で入手した史料を紹介したものです。随分と時間を費やしてしまいました。
2004年10月
数年ぶりに日本国際政治学会に出席して来ました。今回は、歴史系の報告を中心に、全日程を拝聴しました。やはり学会からは、刺激を受けることが多いようです。
本来であれば、こうした主要な学会には、継続的に出席したいところです。が、なかなか時間がとれなくなりつつあります。
2004年9月
東アジア国際政治史研究会については、メールでのご案内となりました。
2004年8月
いくつかの企画に合わせた論文や報告に追われています。このまま今年の夏も終わってしまうのかと、いささか焦り気味です。
お誘いのあることはありがたいですし、勉強にもなります。ただ、本来の研究がおろそかになってしまっては、やはり本末転倒でしょう。
とはいえ、この種の依頼というのは、断りにくい筋から入ってくるもののようです。
2004年7月
学部1、2年のゼミが、『世界週報』第85巻第28号(2004年7月27日)に紹介されました。うれしいようでもあり、気恥ずかしいようでもあります。
以下、ゼミ生の方へ:同誌を5部ほど学部事務室に預けてあります。必要な方は取りに行って下さい。先着5名までは現物、それ以降は複写となります。
2004年6月
長らく外交史を研究していると、しばしば、現在の国際情勢が過去と二重写しにみえます。
アメリカ外交についていえば、ブッシュ政権の失速と、来るべき大統領選は、どことなく1970年代を彷彿とさせるかもしれません。当時のアメリカはベトナム戦争でつまずき、ニクソン政権下で、アジアにおけるプレゼンスを低下させ始めていました。
さらに、1970年代の後半になると、在韓米軍の撤退までをも唱えるカーター大統領が登場してきます。日本がアメリカに見捨てられる恐怖を感じ取った頃でもあります。
一方、発展の目覚ましい中国については、1920年代の後半とオーバーラップするところがあるかもしれません。当時の中国は、少しずつ不平等条約体制を脱しつつあり、アメリカはこれを好意的にみていました。日本は対米英関係に見切りをつけ、満州事変に突入していきます。
その教訓を一言でいうならば、日本は過剰に反応しすぎたのでしょう。格下とみなしていた途上国が台頭するとき、関係国は必要以上に反応してしまうのでしょうか。現在の中国脅威論をみても、日本はアジアとの横並びという発想に慣れていないのかもしれません。
対米関係を視野に入れつつ、大国化する中国にいかに対処するのか。その外交的課題は、何も今に始まったことではないのですね。
もっとも、このように考えてしまうこと自体、歴史の誤用という危険性を含むものでもありますが。
2004年5月
一昨年のワールドカップ以降でしょうか。韓国ブームと呼ばれて、久しいようです。一昔前であれば、芸能人やスポーツ選手が頻繁に日韓を行き来することなど、想像もできませんでした。
それにしても、大学関係者としては、気掛かりなことがあります。有力な大学の図書館でも、韓国語の文献があまり所蔵されていないことです。また、東洋史やアジア政治論といった講座では、どうしても中国が軸になるようです。
韓国ブームが上滑りにならなければよいのですが。
2004年4月
拙著『国際政治史の道標―実践的入門―』(中央大学出版部、2004年)が刊行されました。学界動向や史料紹介、書評、文献目録などの論文を集めたものです。
価格については、可能な限り抑えて、2,200円としました。その代わり、著者献本が極めて少なくなってしまいました。かなり買い足しましたが、お配りできる範囲は限られてしまいます。
今回は原則として、拙編『満州事変と重光駐華公使報告書―外務省記録「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』」に寄せて―』(日本図書センター、2002年)の刊行後に御著書を送っていただいた方に謹呈させていただきました。
この種の著作を刊行するのも、最初で最後になりそうです。
2004年3月下旬
杭州の浙江大学にて、歴史認識をめぐる会議に出席してきました。
会議終了後には、紹興に寄りました。紹興酒の他に、魯迅の生誕地として知られるところです。
台湾の総統選については、多くの方が、香港発の衛星放送などでフォローしているようでした。
2004年3月中旬
拙稿「明治大正期の幣原喜重郎」(『中央大学論集』、第25号、2004年)が刊行されました。
通史的な記述と、平易な文体を試みようとしてあります。
2004年3月上旬
(承前)とりわけ書評では、専門から遠いような場合には、大いにためらうものです。せっかくの労作に対して、間違ったことを書いてしまわないかと思えば、拝辞したくもなってしまいます。
他方で、誰も書評を執筆しないと、そのまま作品が埋もれてしまう可能性もあります。一般に著者としては、批判されるよりも、無視される方がつらいのかもしれません。
2004年2月下旬
3月末締め切りの原稿が3本ほど重なってしまい、焦り気味です。
内訳は、共著、史料紹介、書評となっています。筆が荒れてこないかと危惧しています。(つづく)
2004年2月中旬
拙著『国際政治史の道標―実践的入門―』(中央大学出版部、2004年)の再校を終えました。学界動向や史料調査などに関する拙稿をまとめたものです。
このような形で刊行することには、ためらいの方が大きい、というのが率直なところです。とはいえ、少しでもお役に立つところがあればと愚考しています。4月上旬に刊行予定です。
2004年2月上旬
長く生きていると、意外なこともあるものです。雑誌『外交フォーラム』のゼミ訪問取材を受けました。ついつい余計なことを話していなければよいのですが。
同誌は2月8日に発売だそうです。いかに少人数の(マイナーな?)ゼミかということが、思わぬ形で発覚しそうです。