Events 近況
2003年10月上旬
ロバート・エルドリッヂ『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版会)について、著者を本学にお招きした上で、大学院生などと討論する機会がありました。
これとの関連で想起させられるのは、一般に、戦後の日本外交が単なる対米追従とみなされがちなことです。しかし、そのような場合、基礎となる史料や研究書はあまり参照されないうようです。対米追従にすぎないと嘆くのは、基礎文献を参照してからでも遅くはありません。
同書によれば、吉田茂や外務省、さらには「天皇メッセージ」などが相当な役割を果たし、沖縄の潜在主権を引き出していったとされるようです。そのような観点から、アメリカ人の著者は、日本外交を評価しています。また、沖縄問題をめぐるアメリカ側政策決定者の多様性を知るだけでも、一読の価値はあるのでしょう。(つづく)
2003年9月下旬
拙稿「東アジア国際政治史研究の可能性」(『歴史学研究』第779号)の抜刷を発送しました。部数が少ないため、同稿に引用させていただいた方などを中心としています。以前、拙稿「ロンドン海軍軍縮会議と日米関係」をお送りした方には、今回あまりお配りできませんでした。
2003年9月中旬
拙稿「ロンドン海軍軍縮会議と日米関係―キャッスル駐日米国大使の眼差し―」(『史学雑誌』第112編第7号)の抜刷を発送しました。その際に、ごく一部の方には、雑文「幣原没後」(『創文』第454号)を冊子ごと同封させていただきました。
2003年9月上旬
拙稿「東アジア国際政治史研究の可能性」が第779号の『歴史学研究』に掲載されました。小特集「近現代東アジアにおける中華民国」に寄せたものです。拙稿はともかく、その前後の論文には、一読の価値があります。
小特集に向けた会合などを通じて、中国史家のお話しを拝聴できたのも幸いでした。このような機会は、意外に少ないのではないかという印象です。それだけに、小特集を企画して下さった方々にも、深謝の意を表したいと思います。
2003年8月下旬
野党合併への動向がいささか気になっています。合併の内実は、民主党による自由党の吸収といってよいのでしょう。
それにしても、小沢一郎氏は随分と冴えなくなってしまったようにみえます。自民党を割って新生党の代表幹事に就任したのが、ちょうど10年前でした。その新生党に日本新党、公明党、民主党を加えて新進党を結成した頃が絶頂期でしたでしょうか。対外政策では、華々しく「普通の国」を掲げました。
しかし、やがて羽田孜氏や旧公明党グループと離反し、小沢氏の勢力はやせ細っていきます。新進党の解党を決めたのも小沢氏でした。今回の民主党と自由党の合併によって、「小沢の乱」ともいうべきものは一段落するのでしょうか。改めて両党の合意文書を読んでみると、政策やマニフェストは民主党のものを継承すると簡単に記されているに過ぎません。
もっとも、小沢勢力の衰退とは裏腹に、「普通の国」という議論は浸透していった感があります。イラク特措法の経緯を想起すれば分かるように、「普通の国」という理念は、むしろ自民党の側に咀嚼されたといえそうです。総選挙に勝つためとはいえ、イラク特措法に反対した民主党に小沢氏が吸収されるというのは、何とも皮肉なめぐり合わせといえるでしょう。
与野党間における選挙の争点は何になるのでしょうか。政党名からして、自由党と民主党が合併して自由民主党と争うというのは、対抗軸がみえにくいようです。村山内閣の下で社会党が日米安保の容認に踏み切った頃から、内外政における与野党間の差異は分かりにくくなっています。
それでもやはり、次の総選挙で最大の争点は、経済政策になるのでしょうか。この機会に、是非とも対外政策も十分に議論して欲しいものです。安易な類推は禁物ですが、戦前の政党政治は対外政策への統制と国民の信頼を失うことから崩壊していったという経緯もあります。
また、所詮アメリカに追従するしかないのかという無力感がこれ以上広まっていくことも危険に思えます。だからといって、日米安保体制からの離脱や核武装が有力な選択肢だとも到底考えられません。
強いていえば、外交面における民主党の看板は、国連中心主義になるのでしょうか。しかし、国連中心主義とは岸内閣以来、自民党も唱えてきたことです。そこに生命を吹き込むには、国連改革案などを含む青写真を提示せねばならないはずです。最大の難関は、国連中心主義と対米協調が抵触した際の処方箋でしょうか。
「普通の国」と並ぶ小沢氏のもう一つの目標は、二大政党制でありました。ですが、細川内閣の選挙制度改革が中途半端に終わったためもあり、こちらは遅々としています。無党派層という言葉が象徴するように、国民の政治離れも深刻です。
今度の総選挙を前に民主党と自由党が合併し、社民党や共産党が苦戦していることは、政権交代を可能とする二大政党制への好機といえます。しかし、そのためには、野党間における本格的な政策の詰めが欠かせません。野党とは本来、新たなる政策の土俵を築き、政権交代の素地を養っていくはずのものです。
来るべき総選挙に向けて、分かりやすく対抗軸が示されることを願いたいものです。
2003年8月中旬
拙稿「ロンドン海軍軍縮会議と日米関係―キャッスル駐日米国大使の眼差し―」が、『史学雑誌』第112編第7号に掲載されました。幣原喜重郎外相、吉田茂外務次官、キャッスル駐日米国大使の3者関係を軸に、ロンドン会議を論じたものです。
また、同号では、拙編『満州事変と重光駐華公使報告書―外務省記録「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』」に寄せて―』(日本図書センター、2002年)の新刊紹介もしていただき、大変感謝しております。
2003年8月上旬
ようやく前期分の採点を終えました。前期は、ここ数年で最も忙しい時期でした。
多忙の際に時間を有効に使うには、朝が大事だといわれます。ですが、大学の仕事を終えてから深夜まで原稿を書いていたりすると、朝が一番つらいということになりがちです。
研究室でじっくりと文献を読み、週末には研究会や学会に出席する。そんな当たり前の研究生活が、難しくなりつつあるようです。
2003年7月下旬
拙稿「東アジア国際政治史研究の可能性」の校正を終えました。『歴史学研究』9月号の特集「近現代東アジアにおける中華民国」に寄せたものです。私の担当は、日中関係でした。
2003年7月中旬
拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)が第3刷になりました。今回も、数カ所を訂正してあります。
2003年7月上旬
雑文「幣原没後」が『創文』第454号に掲載されました。抜刷はありませんので、研究会の際にでも冊子をお配りしたいと思います。
2003年6月下旬
学部創設10周年に、下記のような拙文を寄せました。
「本学に赴任してから1カ月あまりが過ぎました。総合政策学部には何かと積極的な学生が多いようで、その勢いにしばしば圧倒されています。また、実学色の強い学部というのも大きな特徴のようです。
そんな戸惑いもあり、先日、3つの講義科目でアンケートを実施してみました。学生のニーズを把握するためです。アンケート結果をみると、いろいろと思案させられます。とりわけ困惑してしまうのは、回答内容が二分されるような場合です。
例えば、外交史のアンケートでは、「歴史を勉強してこなかったので、あまり脱線しないで欲しい」という意見が少なくありませんでした。しかし同時に、「他では聴けないような話しをして欲しい」という意見も多いのです。
学際的な学部だけに、どの程度の基礎知識があり、どの分野に比重を置くかといったことに、個人差が大きいためかもしれません。上記のような場合には、アウトラインをおさえつつも、専門家でなければ知り得ないような内容をちりばめていくべきなのでしょう。いずれにせよ、少しずつでも授業内容を改善していきたいと考えています。
なお、大学院でも、3、4名の院生を指導させていただいています。内部進学と外部との比率は、半々というところでしょうか。教員と学生の距離が近いという良き伝統は、大学院でも同じのようです。」
2003年6月中旬
拙稿「幣原没後」と題する雑文の校正を終えました。『創文』6月号に掲載予定です。エッセー風のものとしては、『書斎の窓』以来となります。
2003年6月上旬
拙稿「ロンドン海軍軍縮会議と日米関係―キャッスル駐日米国大使の眼差し―」の再校を終えました。研究ノートとして、『史学雑誌』第112編第7号に掲載予定です。
ロンドン会議期の日米関係について、キャッスル駐日米国大使と幣原喜重郎外相、および吉田茂外務次官の3者関係を軸に論じてあります。
2003年5月下旬
ProQuestの新聞データベースをトライアルしてみました。以前、国会図書館でNew York Times紙をマイクロフィルムでみていた頃とは、隔世の感があります。また、Washington Post紙に至っては、おろらく、国内で戦前のものを揃えているところはなものと思います。
その点、上記のデータベースは、古い英字新聞などを調べるのに便利です。もっとも、大学図書館などで過去の新聞データベースまで契約しているところは、ほとんどないようです。
2003年5月中旬
学部や大学院のゼミというのは、学生さんの性格が表れるようです。予習を十分にしていてもなかなか発言しない方もいれば、さほど予備知識がなくても自分の関心や体験に引き付けて上手に話す方もいます。
私の場合、ゼミでは3つのコメントを用意するように勧めていますが、肝心なのは、議論の流れの中で主体的に発言する勇気だと思います。こちらから当てないようにしているのは、指名されるのを待つようになってしまうためです。
2003年5月上旬
今年度は4つのキャンパスで教えているため、電車での移動時間が長くなっています。
かつて日本を訪れた外国人の多くは、満員電車でも読書を欠かさない日本人の勉強ぶりに驚かされたそうです。
しかし今では、車中の主役は携帯電話になってしまいました。
2003年4月下旬
対イラク戦争は、少なくとも軍事的にはアメリカの圧勝に終わりました。そのことをいかに評するのかは人それぞれでしょうが、アメリカの底力を見せつけられたと感じた方も多いのではないかと思います。
もっとも、アメリカの威力というのは、軍事力に限られるわけではありません。知的世界での一極集中は、軍事力のそれをはるかに上まわっているはずです。
例えば、あえてアメリカを避け、他の英語圏に留学したとしましょう。めでたく博士論文を完成させて、英語での刊行を検討する場合には、アメリカの市場にどれだけ浸透しそうかが審査基準の1つになるそうです。
アメリカとどのようにつき合い、日本が主体的に発言していくのかという命題は、何も政治やジャーナリズムの世界に限られないようです。
2003年4月中旬
日中関係史研究の史学史的考察というテーマで、論文を脱稿しました。ある雑誌の民国史研究特集によるものです。刊行は秋頃になるそうです。その関連で、フェアバンク『中国回想録』(みすず書房)などを再読してみました。
2003年4月上旬
中央大学総合政策学部に赴任しました。慣れない講義科目の準備や研究室の整頓に追われています。大学院も担当予定です。なお、本ホームページを学外から閲覧される場合には、原則として毎週月曜日に更新となります。
2003年3月下旬
アジア歴史資料センターにて、今年度の仕事を終えました。