Events 近況

2002年4月中旬

「戦間期の東アジア国際政治」研究会にて報告させていただきました。論題を「1930年代初頭の日米中関係」としましたが、実質はロンドン海軍軍縮会議と満州事変について、限られた視角から再考したものに過ぎません。新学期でお忙しい中を御参加下さいました方々に御礼申し上げます。懐かしい方や初めての方ともお会いすることができ、刺激になりました。報告の内容に関しては、何らかの形で活字にしていければと思っております。

2002年4月上旬

拙稿「重光駐華公使報告書

(『軍事史学』第37巻第2・3号、2001年)247-259頁にて御紹介させていただいた松本記録「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』(重光駐支公使報告書)」(外務省外交史料館所蔵)の刊行を検討しています。既によく知られた史料ですが、200字詰め原稿用紙で686枚という分量のため、通読されることは稀だったように思われます。

この重光報告書については、4月20日の「戦間期の東アジア国際政治」研究会で御報告すべく準備を進めています。もっとも、不慣れなため、作業は遅れております。同研究会ではその他、ロンドン海軍軍縮会議についてもお話しさせていただくつもりですが、新学期も始まり少々焦り気味です。

2002年3月下旬

拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)にて、吉田茂賞を受賞しました。思いがけない幸運に恵まれることができ、大変に感謝しております。同書は増刷に向けて、加筆修正を済ませてあります。この間、拙著にコメントをお寄せ下さった方々に御礼申し上げます。また何かお気づきの点がおありでしたら、御一報下されば幸いです。

2002年3月中旬

ある研究会で、中国の先生方数名をお招きし、中国における研究動向やその背景に関してお話ししていただきました。日本との研究方法の違いなど、歴史研究を考える上で有意義でした。

2002年3月上旬

同志社大学の研究会に出席させていただきました。太平洋戦争前の日本による暗号解読に関する刺激的な報告を拝聴しました。昨年12月頃から毎日新聞、神戸新聞、Japan Times、The Los Angeles Timesなどで取り上げられていたものを発展させた内容です。開戦前に日本は情報戦で負けていたという理解に一石を投じるものとなりそうです。

2002年2月下旬

アジア歴史資料センターにて、委員の仕事をさせていただいています。それにしても、インターネットで原文書の画像が閲覧できるというのは画期的ですね。かつて私が大学院生の頃、なけなしのお金をはたいてマイクロフィルムで購入したような史料がダウンロードできてしまい、隔世の感です。同センターではモニターを募集中です。

2002年2月上旬

拙稿「カリフォルニア大学バークレー校主催シンポジウム“Treaty-Bound: Japanese Politics and International Diplomacy, 1853-Present”」(『近現代東北アジア地域史研究会ニューズレター』、第13号、2001年、108-110頁)が公表されました。拙稿は、2001年11月にカリフォルニア大学バークレー校にて開催されたシンポジウムの参加記録です。 シンポジウムはサンフランシスコ講和50周年を契機として、幕末から現代に至る日本外交史の主要条約を問い直そうとしたものです。なお、同誌には抜刷がないため、謹呈できませんでした。

2002年1月下旬

拓殖大学政治経済研究所の公開講座を実施しました。講師として、中国国際問題研究所の晋林波氏をお招きし、「中国人の日本観」という論題で講演していただきました。一般の方を中心に、40名から50名程度の御参加をいただきました。有難いことです。講演の模様は、いずれ紀要に掲載を予定しております。

2002年1月中旬

三宅正樹『政軍関係研究』(芦書房、2001年)を拝読させていただきました。私がかつて1990年代前半に研究を開始した頃、同書に収録されたような論文を複写して読んだことがあります。今回御著書としてまとめ上げられたものを拝見しますと、旧稿に大幅に加筆されており、丹念に冷戦後の学説状況にまで論及されていることに感服させられます。
1930年代の日本を特異な経験とするのではなく、むしろ国際比較を可能にする視点として、政軍関係論は有効なのでしょう。発展途上国を理論の射程内に収める点においても、例えばファシズム論などより、適用範囲は広いといえそうです。

それにしても、我が国では三宅先生が先鞭をつけられた政軍関係論が、今後どのように発展し得るのかは少々気掛かりです。いずれにせよ、ここ数年で論文集を数冊まとめられており、頭の下がる思いです。

2002年1月上旬

後期の授業をすべて終えました。外交史や国際政治史という古くさい分野と、新しい感覚を持つ学生との距離をいかに克服すべきなのか、いろいろと考えさせられました。

また、休みを利用して、ゼミ生の卒論を読みました。内容的には優れたものが少なくないのですが、卒論を執筆する学生自体は減りつつあることが残念です。

2001年12月下旬

黒沢文貴、斎藤聖二、櫻井良樹編『国際環境のなかの近代日本』(芙蓉書房出版、2001年)の書評執筆に苦戦しています。せめて、内容紹介だけでもできればと考えています。

2001年12月上旬

何人かの方々に、拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)へのコメントを送っていただきました。ありがとうございます。本というのは、どんな方が読んでくれているか分からないものですね。

2001年11月下旬

拙稿「『戦間前期』東アジア国際政治史文献目録―拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交1918-1931』追補―」(『拓殖大学論集 人文・自然・人間科学研究』、第6号、2001年)、65-94頁、が公表されました。 といっても、拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交1918-1931』(有斐閣、2001年)の文献目録に過ぎないものです。 出版状況が悪化しつつある昨今、学術書に完全な文献目録を掲載することは難しいようです。拙著も例外ではありませんでしたので、文献目録を紀要に掲載させていただきました。

2001年11月中旬

アメリカに行って来ました。カリフォルニア大学バークレー校にて、シンポジウムに参加するためです。シンポジウムは、”Treaty-Bound: Japanese Politics and International Diplomacy, 1853-Present”と題されました。サンフランシスコ講和会議50周年に際して、日本外交の足跡を問い直そうという企画だったようです。私がどれだけ貢献できたかは疑問ですが。Edward Thomas Williams Papers, Bancroft Library, University of California at Berkeley などもみてきました。

2001年11月上旬

新3年生を対象として、「ゼミナール・ガイド」を八王子キャンパスにて実施しました。拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)が刊行されました。

2001年10月下旬

大阪と京都に出張して来ました。

2001年10月中旬

文京キャンパスのオープン・キャンパスで、高校生の方々にお話しをさせていただきました。

2001年10月上旬

『軍事史学 満州事変70周年特集号』(第37巻第2・3号)が刊行されました。拙稿「重光駐華公使報告書」が247-259頁に掲載されています。

2001年9月

ようやく拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)の再校を終えました。10月下旬に刊行予定です。

2001年8月

ゼミ合宿で箱根に行って来ました。