Events 近況

2003年7月上旬

雑文「幣原没後」が『創文』第454号に掲載されました。抜刷はありませんので、研究会の際にでも冊子をお配りしたいと思います。

2003年6月下旬

学部創設10周年に、下記のような拙文を寄せました。

「本学に赴任してから1カ月あまりが過ぎました。総合政策学部には何かと積極的な学生が多いようで、その勢いにしばしば圧倒されています。また、実学色の強い学部というのも大きな特徴のようです。 

そんな戸惑いもあり、先日、3つの講義科目でアンケートを実施してみました。学生のニーズを把握するためです。アンケート結果をみると、いろいろと思案させられます。とりわけ困惑してしまうのは、回答内容が二分されるような場合です。 

例えば、外交史のアンケートでは、「歴史を勉強してこなかったので、あまり脱線しないで欲しい」という意見が少なくありませんでした。しかし同時に、「他では聴けないような話しをして欲しい」という意見も多いのです。 

学際的な学部だけに、どの程度の基礎知識があり、どの分野に比重を置くかといったことに、個人差が大きいためかもしれません。上記のような場合には、アウトラインをおさえつつも、専門家でなければ知り得ないような内容をちりばめていくべきなのでしょう。いずれにせよ、少しずつでも授業内容を改善していきたいと考えています。 

なお、大学院でも、3、4名の院生を指導させていただいています。内部進学と外部との比率は、半々というところでしょうか。教員と学生の距離が近いという良き伝統は、大学院でも同じのようです。」

2003年6月中旬

拙稿「幣原没後」と題する雑文の校正を終えました。『創文』6月号に掲載予定です。エッセー風のものとしては、『書斎の窓』以来となります。

 2003年6月上旬

拙稿「ロンドン海軍軍縮会議と日米関係―キャッスル駐日米国大使の眼差し―」の再校を終えました。研究ノートとして、『史学雑誌』第112編第7号に掲載予定です。

ロンドン会議期の日米関係について、キャッスル駐日米国大使と幣原喜重郎外相、および吉田茂外務次官の3者関係を軸に論じてあります。

2003年5月下旬

ProQuestの新聞データベースをトライアルしてみました。以前、国会図書館でNew York Times紙をマイクロフィルムでみていた頃とは、隔世の感があります。また、Washington Post紙に至っては、おろらく、国内で戦前のものを揃えているところはなものと思います。

その点、上記のデータベースは、古い英字新聞などを調べるのに便利です。もっとも、大学図書館などで過去の新聞データベースまで契約しているところは、ほとんどないようです。

2003年5月中旬

学部や大学院のゼミというのは、学生さんの性格が表れるようです。予習を十分にしていてもなかなか発言しない方もいれば、さほど予備知識がなくても自分の関心や体験に引き付けて上手に話す方もいます。

私の場合、ゼミでは3つのコメントを用意するように勧めていますが、肝心なのは、議論の流れの中で主体的に発言する勇気だと思います。こちらから当てないようにしているのは、指名されるのを待つようになってしまうためです。

2003年5月上旬

今年度は4つのキャンパスで教えているため、電車での移動時間が長くなっています。

かつて日本を訪れた外国人の多くは、満員電車でも読書を欠かさない日本人の勉強ぶりに驚かされたそうです。

しかし今では、車中の主役は携帯電話になってしまいました。

2003年4月下旬

対イラク戦争は、少なくとも軍事的にはアメリカの圧勝に終わりました。そのことをいかに評するのかは人それぞれでしょうが、アメリカの底力を見せつけられたと感じた方も多いのではないかと思います。

もっとも、アメリカの威力というのは、軍事力に限られるわけではありません。知的世界での一極集中は、軍事力のそれをはるかに上まわっているはずです。

例えば、あえてアメリカを避け、他の英語圏に留学したとしましょう。めでたく博士論文を完成させて、英語での刊行を検討する場合には、アメリカの市場にどれだけ浸透しそうかが審査基準の1つになるそうです。

アメリカとどのようにつき合い、日本が主体的に発言していくのかという命題は、何も政治やジャーナリズムの世界に限られないようです。

2003年4月中旬

日中関係史研究の史学史的考察というテーマで、論文を脱稿しました。ある雑誌の民国史研究特集によるものです。刊行は秋頃になるそうです。その関連で、フェアバンク『中国回想録』(みすず書房)などを再読してみました。

2003年4月上旬

中央大学総合政策学部に赴任しました。慣れない講義科目の準備や研究室の整頓に追われています。大学院も担当予定です。なお、本ホームページを学外から閲覧される場合には、原則として毎週月曜日に更新となります。

2003年3月下旬

アジア歴史資料センターにて、今年度の仕事を終えました。

2003年3月中旬

3月末にて大学を移籍することになりました。この研究室にもう戻ることはないのかと思うと、見飽きたはずの風景にも愛着をおぼえます。

2003年3月上旬

卒業生を送り出す季節になりました。国立大学で12年間を過ごした者としては、私立大学が相当程度にまで卒業生で支えられるということを実感します。

2003年2月下旬

一般論としてですが、大学に就職すると多忙になり、かえって研究できなくなるという逆説があるようです。大学改革の波は、その傾向に拍車をかけています。これだけ時間が不足すると、自分自身の研究はもとより、読書の時間すら限られるようになってしまいます。

そのため、著作を執筆する際には、読者が多忙であることを念頭におく必要があるかもしれません。読書に充てられる時間が少なければ、順序通りには読んでくれないからです。ご多忙の方であれば、まずは後書きから読み始め、次いで序論や結論に移るという順序になるのでしょう。

だとすれば、本の最初と最後でインパクトを強くして読者を引き込み、間口を拡げないと、肝心の本論を開いてはもらえないということになります。本論のディーテールは何のためであり、分析視角がどのように新しく、結論はどこにあるのかといったことを、最初か最後で分かりやすく提示しておくべきなのでしょう。

文体から書名にいたるまで、以前とは異なる意味で工夫が求められる時代になりつつあるようです。

2003年2月中旬

拙稿「第2回日欧歴史教育会議」(『近現代東北アジア地域史研究会ニューズレター』、第14号、2002年、144-148頁)が公表されました。地味な会議の紹介文に過ぎないものです。

近年、学問とはあまり関係のないところで多忙になっており、時間的な制約から、こうした紹介文を書くのもそろそろ止めなければいけないのだろうかと考え始めています。

2003年2月上旬

ここ2、3年の間に、論文や著作を送っていただくことが増えてきました。ありがたいことです。

できるだけ拝読した上で返礼するようにしていますが、刊行のペースは早まりつつあり、しばしば読み切れなくなってしまいそうになります。しかし、送られてこようとこまいと、重要な文献を読まなければ当然、学界の動向にはついて行けなくなります。

そんな時には、研究とは終わりのないマラソンのようなものだろうか、という気になります。先頭集団にはついて行くだけで大変ですが、うっかり脱落してしまうと、まず第一線には復帰できなくなるからです。

2003年1月下旬

早稲田大学にて、「対抗と提携の間―世紀を越えた日中関係―」というテーマの国際会議が開催されました。共通論題は、「汪兆銘政権下の日中関係」でした。

私は自由論題として、拙編『満州事変と重光駐華公使報告書―外務省記録「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』」に寄せて―』(日本図書センター、2002年)の内容を報告させていただきました。

2003年1月中旬

毎年恒例ですが、年末年始に書店へ足を運ぶと、『○○年、日本経済はこうなる』式の本が平積みになっているのをみかけます。こうした本が注目されるのは、長引く不況のためでもあるのでしょう。

経済の低迷が続くと、とかく内向きになりがちです。近年、地方公務員に憧れる学生が増えているのも当然でしょう。内向きになるのはやむを得ないにしても、「経済が逼迫しているのだから国際貢献どころではない」と考えるような傾向が強まりつつあるとすれば、やや短絡的かもしれません。日本が資源のない島国である以上、その存立が対外関係に依存していることは、食卓ひとつをみても明らかです。

あらゆる国家は盛衰から自由ではないのですから、混迷の時代にこそ、国力と平和を維持し存在感を示すような外交の在り方に思いをはせてみたいものです。そういえば、かつて帝国日本の崩壊後には、戦後賠償を経済進出に結び付けるような発想がありました。

2003年1月上旬

元旦に「しっかりとした研究を残そう」と思うようになってから、早いもので十数年が過ぎました。当初は何も分からず無我夢中でやってきましたが、優れた研究とは何なのか、おぼろげながら分かりかけてきたような気がしています。一言でいえば、「普遍性、独自性、文章力」ということでしょうか。

ここでいう普遍性とは、周辺領域の研究者などを含めて、多くの方々に重要性を認めていただけるような分野に問題を設定していることです。とっかかりは小さな事でも、それをどこまで一般化できているかということでもあります。

また、独自性には解釈と史料の両面があるはずです。どちらか一方が欠けても、影響力は半減するでしょう。

文章力にも2つの面があります。つまり、文章自体の上手さと、全体を構成する力です。啓蒙書に文章力が求められるのは当然ですが、専門書でも相当に重要です。独り善がりで下手な文章だと、いかに内容が良くても、通読してはもらえないと考えるべきでしょう。

これらはすべて、自戒にほかなりません。研究者を志した以上、だれもが不可欠だと認めざるを得ないような分野において、新らしい学界の基準を1つぐらいは築いてみたいものです。

2002年12月下旬

今年1年を振り返ると、対外関係では韓国や北朝鮮との間で進展があった年でした。北朝鮮との関係は現在でも流動的ですが、1つだけハイライトを挙げるとすれば、9月に史上初の日朝首脳会談が開催されたことになるのでしょう。北朝鮮政府からは、拉致問題での安否確認と謝罪がなされ、核査察受け入れやミサイル発射凍結無期延長、不審船取り締まりといった安全保障でも成果があったようです。

一方、韓国との関係では、ワールドカップ日韓共催がありました。もっとも、ワールドカップでかえって韓国が遠のいたと感じた方もいたようです。韓国では共催という意識があまりなく、スタジアムでは日本の対戦相手を露骨に応援する光景すらみられたというのです。ですが、過去の経緯に鑑みれば、韓国人が突如として日本代表を応援してくれるとは考えにくかったはずです。

だからといって、日韓関係の将来を過度に悲観することもないように思います。そもそも、日韓両国が協力して何か1つのことを成し遂げるなど、歴史上ほとんど空前のことなのですから。後年、「やはりワールドカップ共催を節目に日韓関係が深化していたのだ」と思える日が訪れるか否かは、むしろ今後にかかっているのでしょうね。